Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.9.5

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「大塩の乱関係論文集」目次


『最後のマッチ』(抄)
その52

岡田播陽(1873-1946)

好尚会出版部 1922

◇禁転載◇

七五 阿鼻叫喚と伽陵頻迦

管理人註
  

                            おほぞら   あを  一同が金泉寺を辞した頃には、名刀の如うに冴え切つてゐた蒼穹には蒼 ぐろ      さ び  むら                      つんざ 黝い雲の花繍が叢ついて、峯より下す風刃にも、触るゝ物の一切を劈く鋭                    ブラシ            そら さを加へてゐた。春の田舎の鍬の筆、鋤の刷毛に菜の花や大根畑、麦、蚕           ばうしや           どつぼ  こえたご 豆の畠など描かれて、茅舎、牧童は云はずもがな、糞壺、肥樋、馬糞に至           も の るまで、悉く画中の点景に変ずるが、冬の山路は、一木、一石、悉く風の のみ    かんな                       じやう 鑿、水の鉋に削り上げられた彫刻物かと思はれる。芽出度さも上の上なる 都は今し、屠蘇機嫌の狂態、紳士紳商から丁稚お三に至るまで向はゞ臭き                 ぶり 恋に上下の隔てなく、押並べて贅六振を発揮してゐるであらうが、行く人 も無き蔦の細道を辿り行く僕等の、今、足に踏む山道は又何とした惨憺た           たつみ                い          ゆんで    つらゝ るものであらう。道を東南ら取つて船坂へ、凍てた河原を左手に、垂氷ら        め で             みち 纏はれた崖を右手に、登り行く山径、歩一歩に一種悲痛な感を起さしめる                むげつしやう えぐ のである。崖下の砂が壁土用にと無惨性にり取られ、危くも残つた木の          ふちべり         かすゐ 根や雑草に綴られた辺縁が、落ちんばかりに下垂してゐるのも可愛さうだ     いたいけ       わかとが       むごた            ごろいし が、まだ可憐な小松や稚栂などが、惨酷らしく踏み荒らされ、或は転石に きづゝ 傷けられて若木の儘で枯れかゝつてゐる様もいぢらしい。落花狼藉たる山    そば            たゝず   ろうさん            いた 茶花の傍に、黙然として佇める老杉は、何だか孫を傷める老翁のそれの如         こぼく く、引抜かれたる灌木の跡に枝垂れかゝれる僑木には、子を失うて泣く崩 折るゝ親の面影が偲ばれる。石は丘陵に取つて、たとへば人体に於ける骨                 えぐ           みちばた 格であらうのに、それが片つ端から抉り出されて、髑髏の如く路傍に積ま       みじめ                     れてあるのも惨目であるが、氷点以下のこの寒空に皮膚を引ン剥かれた檜                       あまはだ の姿も傷ましい。手足は愚か耳までも切落され、内皮まで脱がされた松の     たんぼ 樹が、泥田畝の中に死屍の如く算を乱して転つてゐるのは更に酸鼻に価す る。皮ぐち打割られて高く積み上げられてゐる赤松の、真ツ赤な皮の色が           しゝる なまち 寒露吹雪にそぼぬれて滴る鮮血の如うに見え、そゞろに地獄の惨刑が聯想 される。而も此の無辜の遺骸は、有馬温泉を中心とした「群少群拠」さま        こら /゛\に数寄を凝し、豪華を誇る別荘の大圏内に於て、多くは必要以上に、                  あぶ 游民共が風呂焚く燃料として、更に火爍りの酷刑に処せらるゝの運命を担                          しやれかうべ うてゐるのである。思へば無残の極みであり、松の内に髑髏を持歩いて、 一世を諷刺した一休禅師、洒落の底に隠してゐた涙も想ひ遣られ、「瓦礫  はさい の破摧や草木の挫折が心を傷ましめるのは、もと/\自己心中の物である からだ」との中斎先生の言意も偲ばれる。山は天与の公園、自然と人生の                    まるはだか  せ 調摂器関と知るや知らずや、一別荘の為に全裸体に剥られた山や、半殺し                   そこ         かも    ゆきゝ にせられた丘も少くないらしい。気候を損ね、水害を醸し、往来の人の利                            さ      ふうじや 便を奪ひ、万人の観望を毀して、自己のなぐさめに供する爾うした富者は          じよくせ                ほしい 更にも云はず、末法濁世の近代人は、万物同体の愛を忘れ、縦まゝに自然                         たゝり を侵害し、虐殺して畏るゝ所を知らぬ今日此頃、何の禍崇かは知らぬが、                               いとま 変な風邪が流行して、山と積まれた犠牲者の死屍を、荼毘に附する遑もな いやうな破目に陥るのも、因果歴然、亦当然の見せしめではないか。今に             見ろ!大地そのまゝ竈と化つて、全人類を一時に火葬にして仕舞ふ、恐ろ しき阿毘叫喚の大審判が臨むかも知れないぞと、独り心中に憤つてゐた時、 母の土、忽然として極楽に三宝を念じて鳴くと云ふ、伽陵頻迦の声が耳朶  かす を掠めた。思ひなしか、折しもハラ/\と散る六つの花が曼珠沙華と見え、    ふくいく     さなが            にほ       しう 妙香は馥郁として宛ら浄土の薫塵の匂やかさが嗅神経に迫るのであつた。                           なげ  あゝら不思議や、難有くも亦勿体なや。僕が末法の世を慨く一片護法の まごゝろ    ぶつ           によぜ 赤誠を、仏も照覧ましまして、茲に如是の奇瑞を示し、下界では減多に聴    てんがく かれぬ天楽の無料傍聴を特に許させ給ふものであらうと、僕は二人を顧み              しき て、この事を語ると、二人は切りに耳を傾ける。畏れ多くも其のやん事な き天楽の歌の文句を聴き取らうとするものらしい。      たちどま  しばらく立停つて聴いてゐると、声はだん/゛\鮮かになるやうである           むせ  さうおう が、たとへば霞の奥に咽ぶ早鶯の声を聞くかのやうに奥床しいこと夥しい。

   
 


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