シヨツク
とつかけひつかけ衝撃を受けて、短い旅に長い時間をエクスタシイの心
す ご はゝ ふところ いだ
境に経過した後の疲労も、大自然てふ大母の懐裡に抱かれては、造作なく
いや い つ さ
癒されるものらしく、僕は何日になく早く眼が寤めたが、近来覚えぬ身体
ゆたか もと
の胖さと、云ひ知れない神気の爽快さに、ヂツとして居られない。枕許の
筆を駆つて此の「最後のマツチ」を記してゐると、間もなく一番鶏が鳴き
こきやう
出した。僕は忘るゝともなく忘れてゐた故郷の昔が偲ばれて来た。亡き母、
ゆ あ いま
逝きし兄弟、さては亡き友の在りし昔の事どもから、故郷に在す父親の事
い き
などが、心に描かれて万感胸に迫つた時、山の動悸か、天地の呼吸か、突
うな
如暁鐘が響いて来た。「天も目覚めよ、地も起き上れ」とばかり唸り出し
が ば
た。僕はこの暁鐘にひきつけられて俄破と起き上り、雨戸を開けて見ると、
かづき
黎明の光が雪の綿帽子や凍氷の被衣を纏ひながら、巨人の如うに立ちはだ
みね/\ と き
かつた、外柔内剛の偉人を偲ばせる六甲の峯巒を淡紅色にぼかして、紺碧
こかのう
の空には屏風から脱けて来た古狩野の名画かと思はれる大きな鴉がたゞ一
ゆる かけ
羽、悠やかに翔つてゐる。
ねむ たけなは もぬけ
Y君はと見ると、まだ睡り酣だが、M君の寝床は藻脱の殻だ、と思つて
ゐると、
『風呂が沸きましたから…………』
しごとぎ ほうかむり はづ
労働服のM君が、寒気に凍てた手で、手拭の頬冠を外しながら、入浴を
まごゝろ ・
勧めに来たには恐れ入らざるを得なかつた。僕は早速M君の熱い真情にた
・ あけ い そゝ
てられた暁風呂に浴つて、去年来の塵埃を滌ぎ、更に水を被つて六根清浄
しやうそうぶん
の心になり、これでいよ/\中斎の墓探しの正宗分を入れると思へば、心
はます/\勇み立つ。
も
風呂から座敷へ戻ると、既う寝床はスツカリ取片付けられて綺麗に掃除
がしてあつた。それに虎公の顔ではないが、座敷が最前よりも、見違へる
ほど立派になつてゐるので、僕は一驚を喫した。それに床の間の八足台に
あ
は、何時の間にか灯明が掲げられ供物などが並べられてある。上段の中央、
おふだ
白木の祠の扉が八文字に開かれて、何々大明神、何々大菩薩の御札が「気
をつけ!」の姿勢をとつてゐるかのやうなので、何故かと思うて、ツイ其
し た ほゝゑ
の下位を見て、僕は「是れあるかな」と微笑んだ。即ち其処には「大塩大
ど う
明神」と記した新しい御札が君臨してゐらせられたからである。如何やら
今書き立てのホヤ/\らしく、墨痕淋漓として灯明の光に輝き、故英雄が
けいがん うや/\
爛々の炯眼を偲ばせてゐる。僕は 恭 しく拍手三拝した後、
『君の機転だらう。』
と後ろに居る筈のM君を顧ると、誰も居ない。
『はてな?』
けゞん
と怪訝な思ひに輝く僕の目の前へ、
『父が一寸御挨拶を…………』
と、M君は突然五十余りの好々爺を連れて来た。初対面の挨拶からいろ
む ら なうて
/\話を聞いてみると、この好々爺も中斎信者の一人で、村内でも名腕の
利かぬ気ものらしい。
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