Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.9.7

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「大塩の乱関係論文集」目次


『最後のマッチ』(抄)
その54

岡田播陽(1873-1946)

好尚会出版部 1922

◇禁転載◇

八〇 天も目覚めよ地も起き上れ(2)

管理人註
  

       うち  彼是して居る間に、Y君も風呂から上つて来る。一緒に朝餉を認めて居 るうちに、  『何方も昨夜は失礼致しました。』  と例の虎公がやつて来た。そして連れて来た巳のやんを僕に紹介する。       ・・・・ 安福寺とかのおつさんも遣つて来る、青年会員がドヤ/\押かけて来る。 学校教師やら、お百姓やらもゾロ/\と詰めかけて来て、座敷一抔になつ                              せ が た。怎うやら虎公が吹聴して廻つたらしい。僕は此処でも一同に強請まれ たので、  『諸君!日向から五島列島に亘る高千穂山脈と阿蘇山と祖母ケ嶽が日本                           そ れ  文化の根源たる九州の文化を生み、霧島嶽が鹿児島の文化をはぐゝんだ  如く、西日本を縦断し手足を八方に伸してゐる三丹中国の山脈を龍とす           たしか    あたま  するならば、六甲は慥に其の頭であります。今日大阪人が経済的を以て  全日本を左右し得るに至つたのも此の六甲山に其心塊を養はれて来たか  らです。謂はゞ六甲山は西日本の富士山です。外形に於て富士は雄大で  ありますが、其の内面的生命に於ては、隠顕出没して而も其の力と美点   たふくわい  を蹈悔せるが如き六甲山脈の足下へも寄れません。全体関東人の思想な  り生活なり態度なりが、単調で外面的で一時的の熱は熾烈なやうですが、  底力に欠け持久力に乏しいのは、東日本には参天形の山岳が多いからで                   くみ                なか/\  す。それに反して関西人の平凡に似て与し易く見え、其の実却々恐るべ   ねぢから                  たいえん  き根力を潜めてゐるのは、関西の山岳其の儘ではありませんか。大衍す                          は             あま  ると、それが其儘西洋と東洋、否、山岳と海とに当嵌まります。否、天   かまど        はこぶね  の窟戸とノアの方舟とに該当します…………』                   とき  山の講釈から中斎と六甲の因縁関係に説及ぼし、更に中斎の人格、思想、  学問、経歴から、逸話に説き進んで行くと、  『こんな話は初めてゞす。』          う ぶ  と云つた如うな初心な表情に誘はれて、  「半生の心血多く此書にあり」と自称せられた洗心洞箚記を、富嶽に蔵 して知己を後世に待つた中斎先生は、亦無文の箚記たる自己の精神を骨と 共に六甲に埋められて、霊の相承者を待つて居られるに相違ない。成るだ  なま           い や             き ざ       みなり け肉臭い物を見、成るだけ淫猥らしい声を聞き、成るだけ気障つぽい服装                   をし、成るだけ女の嫌う如うな仕事は廃して、成るだけでれつとして居な                            ければならぬと云ふ、所謂文化虫は人間界の白蟻である。而して斯の白蟻              う ん か の駆除法は山化剤に限る。浮塵子を躯除して郡長閣下から感状を頂いて身  ほま の誉れとするよりも、身を殺しても人生の危機を救ふことに心を致された            ふる しと、可なりの長広舌を揮つた。そして最後に今度の探墓行の有望なこと を咄すと、我も/\と云ふ風に、同行志願者が大分あつた。安福寺に探墓 隊の勢揃ひをして見ると、都合十四人。M君の手に依つて。


目次の章タイトル
「天も目覚めよ地
も起ち上れ」
 


『最後のマッチ』(抄)目次/その53/その55

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