Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.9.9

玄関へ

「大塩の乱関係論文集」目次


『最後のマッチ』(抄)
その55

岡田播陽(1873-1946)

好尚会出版部 1922

◇禁転載◇

八一 大塩先生探墓団(1)

管理人註
  

                      まぎら        かねきん のぼり  と大書された、天保の昔、床しき救民の義旗に擬はせた天竺金巾の幟が、  へんぽん                うぶすな  翩翻として朝風に翻へる。ちやうど邑の土神が猿田彦なので、一同稽首      のち  三拝した後、勇気凛凛、有馬をさして繰り出したが、三人切りの時と違                                つて、歩きながらの横説縦談は、極めてガヤ/\然、ワイ/\乎ためも       もの  ので、田舎漢の団参を彷彿させる。  『山口村から船坂までの単調な登りの一筋道を、昨日は興味と衝動に充                         こ ゝ  たされて無我無宙に辿り得られた反対に、今日は船坂から有馬への上り               まがり           と ほ  下り、下り上りの変化の多い曲折路を、無趣味無感興で通過らねばなり  ますまいぞ。』  僕の傍を離れ得ないM君が斯う曰ふと、  『船坂は山口より五百尺高いですが、有馬は船坂を抜く事百尺に過ぎま  せん。そして有馬の方が近いのに時間は却つて余計かゝります。道路が                            う ま  平坦なだけ、それだけ緊張しないからでしやう。それに情意合ひ同志だ                  からだ  と、三人連れなら三人して、一人の身体を運んで行く程、楽ですけれど、                    ・・・ ・・・  異分子ばかりの集団は、おの/\一人でみんなををつぶして歩くやうな  ものですからね。』    だち  片脇侍のY君が応へる。                  振返つて見ると、旗持の虎公と巳のやんは半丁ばかりの後ろにゐたが、  ほか          おく  他の六人は十丁ばかりも後れて居る。     『怎うしたのでせうね。』  M君は気遣ひながら、   あいつら                              『彼奴等は今朝の先生のお話にチヤームされて、ホンの一時の感激で跟                       さ が  いて来たまでであつて、怎うでも中斎の墓を探索さうといふ熱心は、カ  ラ無いのですからね。』  と呟く。

目次の章タイトル
「大塩先生墓所
探索団」


『最後のマッチ』(抄)目次/その54/その56

「大塩の乱関係論文集」目次

玄関へ