Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.9.10

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「大塩の乱関係論文集」目次


『最後のマッチ』(抄)
その56

岡田播陽(1873-1946)

好尚会出版部 1922

◇禁転載◇

八一 大塩先生探墓団(2)

管理人註
  

 『さうばかりとも限るまいがね。やはり牛は牛連れ、馬は馬連れで、水  入らずの村人同志の語らひは又格別であらう。多少狂的な僕等の放言は、         そゝ  一時の好奇心を嗾ることはあつても、いつもかも聞かされては、日頃牛   うめ       いなゝ  の唸き、馬の嘶きばかり聞きなれてゐる彼等の耳も、亦ウンザリせざる  を得なからうぢやないか。はゝゝゝ』       さ う                         つもり  『そりや左様かも知れませんが、先生のお話は大分聞きなれてゐる心算  の我々の耳にも、一寸通じかねることがありますものな。』                 けな  『褒められてゐるのかと思へば、貶すされてゐたり、罵倒されてゐるか  と思へば、それが其の儘無上の讃美であつたり、変幻百態、容易に捕捉         することの能きぬのが、先生の怪弁ですからね。私の知つてゐる禅僧の                     ごん  某が、最初先生にお目にかゝつて聞いた一言を、三日考へて漸つと其の  意義が分つたとか言つてゐましたぜ。』                   そんな  『僕の知つてるソシアリストも何だか其麼こと言つてたよ。』          『何、一言で会せざれば、千万言は尚更無益だ、而も真の了解は一言を  も要せない。三日考へて分つたと思ふその人達の意義は、まるで見当違  ひのものでなかつたら寧ろ奇蹟だが、又、真の談敵といふものは滅多に               そびき         じつとく  得られないものだ、寒山に袖引出されては拾得も国清寺を出ない訳には                                   行かなかつたし、マルクスもエンゲルスの為に生かされてゐた。山陽逝         こゝろね  つた後の中斎の心根が思ひ遣られるね。』    ふたり        こんな はなし         おく       あえ  僕がMYを対手に斯麼対話をしてゐるうちに後れてゐた連中が喘ぎ/\ 泳ぎ着いた。  『先生達の足のお早いのには感心致しましたよ。我吾共は怎うしたつて  追ツ付けやしませんや。』  『都会は電車がありますから、あまり歩かれることもないでせうにねえ。』  『山の中に住んでるものは怎うしても気が悠長なからなあ。』            『わたしやまた、撒かれるのか知らんと思つて心配しましたよ。』  口々に賞讃され、弁解されても、僕は一向嬉しくもなければ、尤もだと も思へなかつた。それは一同の顔に、何となく倦怠の色が漂うてゐるから である。僕はこの時、寧ろこんな人々を連れて来たことを悔い初めた。真 に事を成すには、必ずしも多数の人を要しない。殊に其の事業の神聖なも                            のであるだけに、尚更少数なるを便とする、大勢を集めて行る事にロクな ことはありやしない。真箇の民衆主義は真箇の天才主義であらねばならぬ。 絶対の多数は絶対の少数でなくてはならない。僕はそろ/\僕自身が呪は しくなつて来た。  しかし一行はもとの十四人、一緒になつて進んで行つたが、一向誰も口                 き    じゆず を利かうとはしない。何だか糸の断れた珠数見た如うな心地がする。

目次の章タイトル
「大塩先生墓所
探索団」


『最後のマッチ』(抄)目次/その55/その57

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