たす
『援けは不安のもとである。巳に一物無きに至つて初めて無心の境地に
し
達する如うに、安心とは孤立無援の心境であると覚りながら、僕は何故
斯うした人達を引ツ張つて来たのであらう?僕は「一人行けば則ち友を
つもり
得る」との易教に背いて居る。易を知つた了見で居るだけ、それだけ易
うしな
を喪つてゐるのではなからうか。福音書に福音が無く、易経に易が無く
なるのも、福音を求め、易を知らうとする心からではないか。知れば失
ひ、思へば消え、言へば嘘に変ずるのではないか。僕は真剣ならんとす
る為に、却つて虚偽に堕して居るのではなからうか。而も自ら真剣なら
はた つれ
ざる時、人は他の真剣を求めるのではないか。連を誘うのでなはないか。
実際僕が真剣であつたならば、多年の宿望を果すのに一会見の人々まで
ぢき
誘ひ出す筈は無い。中斎の直弟子は、師の為に死しつゝも尚其の人から
おも
限り無く愛せられて居ると云ふ懐ひに満されてゐたらしい。家を焼かれ
はだか
て赤裸の儘逃出しながら、「世直りぢや/\」と喜んでゐた男もあつた
とか。僕は大塩当時に生きて居たら中斎を売るかも知れない。否、基督
を売るユダであらう。幸福を得たいと思ふ心程、不幸な心は無く、苦痛
まぬが いと
から免れんとするほどの苦痛は無い。俗悪を厭ふ心は俗悪を招くのでは
ないか。僕は如何しても都会から逃れ得ない人間だらう。執着と貪欲痴
かたま
慢に凝固つた泥凡夫に違ひない。都会の俗悪を呪ふだけそれだけ俗悪に
あこが あは
憧憬れ、貪愛と執着から免れ得無いのだ。僕が山に憧憬れるのも、憫れ
いた ひから
な傷ましい生活状態と無味の日常生活とに乾燥びるのと、名利の餓鬼と
な つき
化つて都会と云ふ絞首台上に、恵まれた如うな顔相をしてゐる連中や、
そこな あさま おびたゞ
イヤ信仰だの、宗教だのと云つて人を害ふの浅猿しい人間の夥しいのに
おのゝ すがた おのゝ たぐゐ
戦慄くからではあるが、其実自己の映姿に悸いて鏡を壊す類であらう。
僕は嘗て逆境悲運に沈んだ時、十三里の山道を徒歩した事があるが、山
なか ふるでら
間の廃寺に一人寝て居ると、深夜縁側に親しい友人がやつて来たかの如
うな気配がする。懐しく思つて早速戸を開けて見ると、猫か狸か何かは
い し ま あは
知らず子犬大の獣がパツト逃げて去つたので、「あゝ失敗つた!」と周
て ふ そ れ
章て呼んだことがある。夜深けて子供の泣声がする。併し其声は狐の泣
か はだし ばた
声であつた。草鞋を購ふ金が無く跣足で小石の上を歩いて居ると、道傍
き
に打棄てられた尻断れ草履が尊く拝まれて鼻緒をすげて履いて歩くと、
何だか仏様でも踏んでるやうな心地がした。それに如何だらう?僕はそゞ
ろに自己の堕落が悲まれて来た。自分で自分の行動の浅猿しさに、泣き
たい如うな、云ひ知れない痛ましさが心の底から込み上つて来た。
こ れ ちかみち
『先生!此路は有馬への捷径ですよ。』
林を抜けて谷へ下る危なかしい一脈の路を指してM君は叫んだ。
こ ゝ
『ぢや此路から行かうぢやないか。』
そ こ ふたり つ
と、僕が其路へ降りかけると、MYは勿論、虎公と巳のやんは跟いて来
ほか つらゝ すべ あぶな あたりまへ
たけれど、他の人達は雪や冷氷で辷つて危険いから、矢張り常道に行つて
こ と
例の通り杖捨橋へ出たいと云ふので、有馬の温泉神社で待ち合す約束にし
て、此処から本支二団に分れることにした。
ねんびやく
『年闢年中谷間や山林に入り浸つてゐるものは、廻り遠くても兎角平地
を行きたいものですよ。』
谷を下りながら虎公、さすがに猟師らしいことを云ふ。
け は
『春先やつたらテンデこんな険阻しい所は歩けませんや』
い
山男の巳のやんも斯う語つた。
からだ
『春は総ての物が腐る時だからね。人間の身体だつて同じことだ。あれ
つまり
花が咲いた、ヤレ草が生へたと云つて、人は喜ぶけれど、畢竟それは大
地の黴なのだよ。』
くちばし
Y君が嘴を入れる。
ところ
『さうかして此の節荷を担いで楽に通れる険所でも、少し気候が暖くな
つて来ると手ぶらでも通れませんよ。』
巳のやんが片荷を担ぐ。
ぎ
斯くて僕等の一団は崖を下り谷を渡り、山林や藪や田圃を横断つて、有
馬の西北隅乙倉谷と云ふへ出た。停車場の近くである。
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