少し行くと三田青磁の販売店がある。主人は商売柄だけに広い大きい青
な が
磁の如うな蒼空に浮べる。白磁の如うな雲を熱心に仰視めてゐる。一同は
な だ
ドヤ/\と其の店へ流垂れ込んだ。
ご す ゑ あちら こちら なら
店の棚には青磁や呉須絵の陶磁器が彼棚此台にゴロ/\列べられてある
いづ やまが そだち ところ
が、何れを見ても凡作庸工、天明年間に、該地の神田惣兵衛とかゞ、宋明
ま な い
窯に真似んだとも伝はれ九々麟門の亀輔の苦心に依つて幾分か其の名を知
られた三田青磁も、哀れ小便桶青磁に堕ちて了つてゐる。聞けば今では土
地の百姓が片手間の仕事ぢやとか。三田は日本美術の鼓吹者、指導者、鑑
ゆる
識家、奨励家を以て自らは大いに任し、任す人は任してもゐるK男の出身
地であり永住地であるのに、不思議な事もあるものだ。』
こんな こと さゝや
M君が斯麼言を密囁くと、
やす
『しかしそれにしても値段は廉いね。』
Y君は大きな声を出した。
こ れ たかい
『イヤ、此価でも不廉と云つて値切られますので…………』
おやじ いきなり
阿爺は突然否定する。
いれかは
『円頂寺住職とあんたと交代られると宜しいのに…………』
『イヤ年が寄つて世間から棄てられてる私共は、一層世間が恋しうてな
りません。嘘にも出家の真似なんか、出来ますものかな。はゝゝゝ』
せとものや
『M君は陶器屋の格好をした寺もあれば、寺の格好をした陶器屋のある
いま あ
ことを未だ知らぬと見えるね。といつて彼の入道も根は好人物だぜ……
……』
なぶ
Y君は嬲り倒した円頂寺入道が聊か気の毒になつて来たらしい。
どなた
『誰方もまあおかけなさつて…………』
阿爺は一同の前へ大きな瓢箪形の大火鉢を突出した。
『瓢箪で思ひ出しましたが、「平八郎の瓢箪さばき」といつて、瓢箪屋
あらそひ きこつ さ ば
の兄弟が、相続訴訟を、瓢箪に寄托けて審判いた中斎の逸話があります
たゞ のち
ね。中斎は与力吟味役として、兄弟から一部始終を訊き質した後、「瓢
せんなり あとなり どちら
箪は先成と後成と那箇が据はりが好いか」と問ふた。弟は直ちに応へた。
すは よろ
「そら先成の方が据りが好しうございます」「それぢや兄に相続をさせ
る方が家の据りが好くはないだらうか」と、中斎がやんはりとやつての
つ
けたので、流石の弟も、成程と気が注いて、恐れ入つて了つたと云ふ事
ほんとう
ですが、真実でしやうか、先生!』
き み さ
『M君が爾うした逸話の先成ぢやから、真偽の保証も君に任して置かう。』
ふたり はなし
瓢箪から駒が飛び出した如うな、こんな突拍子な僕Mの対話を黙つて聴
いてゐた阿爺殿、そろ/\尻馬に乗つて来た。
『私の二十位の時分に、大阪瓢箪街の扇屋三郎兵衛と云ふお茶屋の御隠
も
居から聞いた話ですが、左様既うその御隠居は死んでから四五十年にも
なるでしやうな。たしかその隠居の親の代でしやう。或夏二階の大屋根
ゆるし
に大きな涼み屋根を拵へた所が町奉行から呼び出されて、お上の許可も
あんな すみやか
受けんで彼麼ものを拵へるのは不埒至極ぢや、物見の邪魔になるから速
となり
に取払へとの厳命を受けたので、「さうかて隣家の大屋根には涼屋台ど
ころか塔のやうな高い三階を建てゝゐますが、あれは物見のお邪魔には
なりませぬか」と言ふと、素町人の分際で、お上の役人に口答へを致す
きつ さが ど
不届者、と酷いこと叱り飛ばされ、忽ち恐れ入つて罷り下つたが、何う
と
も得心がいかぬので、当時義侠の聞え高き天満与力町の大塩先生を訪う
て、委細の話をすると、先生は「奉行所の方は拙者が引請くるにより、
こぼ
涼み屋台は毀つに及ばぬ」といはれたので、其儘にして置いたが、其後
奉行所から何とも言つて来なかつた。これは全く大塩先生が御尽力の御
のち とこ あ
蔭ぢやと心得、その後先生宅へ御礼に行くと、「彼の事に就ては奉行か
れ い い
ら礼を述べて貰ふ覚えこそあれ、其許から謝辞を述はれる覚えは無い」
あ
と叱られて帰りましたが、其後間もなく彼の天満騒動で、大阪三郷は殺
おも いづこ
気立つて、戦争とはこんなものかなと悸ひましたよ。何処も戸を閉めて
ふる
奥の間にビク/\慄えてゐましたね。所が向ふ見ずの若い者があつてな、
こんな い
生れてから、恁麼面白い事はないなどゝ叫つて、どん/\火の燃え上つ
あつち こつち かけ
てゐる町々を、彼方此方駆け摺り廻つてゐたさうですが、大筒の玉の破
ら きづゝ
片とかで足を傷け、「痛い/\」と血を垂らしながら泣いて帰りまして
な」と、当時の模様を詳しく聞かされましたよ。そして御隠居は其の騒
動の恐ろしさが、四十年余も経つた今日、まだ忘れられない。と云つて
ましたよ。』
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