Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.9.18

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「大塩の乱関係論文集」目次


『最後のマッチ』(抄)
その62

岡田播陽(1873-1946)

好尚会出版部 1922

◇禁転載◇

八五 市井に隠れたる予言者(3)

管理人註
  

 『イヤ何とも分りませんよ。御承知でせうが、明治三十七年の八月、鳴  動しました当座は、殆ど毎日ま如うに鳴つてゐましたが、それが段々遠            かぼそ  退いて、音響も次第に微弱くなり、この節では漸つと年に四五度しか鳴  らなくなりましたし、音も一寸聞えぬやうになりましたが…………』  『それが全然聞えなくなつた時は又大鳴動を起すか、悪くすると破裂す                   こゝらあたり  るかも知れませんぜ。さうでなうても阪神間は危険地帯の如うですのに  ねえ。』                あ   と き  『イヤさうかも知れません。彼の当時の鳴動以前も何と無く気持が悪か  つたが、此の節はそれよりも何と云ふことなしに気持がよろしくないで  すからなあ。』        おやじ        めつき   な が  真面目に語る主人の顔を、怪訝な眼相で注視めてゐたM君、                          そのゝち  『三十七年の大鳴動は誰でも知つてゐるでしやうが、爾後の鳴動は余り  知つてる者はないやうですね。』  『そらさうでしやう、この土地に住んでゐるものでも気の注く人は尠い      あたりまへ  のですからね、私共も普通でしたら、気は注かないかも知れませんが、      ひやうや  実は私は瓢屋の主人です、先年来息子に世を譲つて、此処へ隠居してま                    や つ  すが、三十七年はまだ私が一生懸命に経営てる最中で、夏を当込んで、                     とりそろ  増築をやるやら畳換へや道具万端トコギリ準備へ女中も増して、さあこ            れからと云ふ時に彼の大鳴動があつたものですから、来てゐた客は真ツ                  な が  蒼になつて逃げて帰つて了ふし、長期の夏中、犬の子一匹やつて来なか  つたので、実に閉口しましたよ。その恐ろしさと口惜しさが心魂に徹し  てゐるものですから、少し鳴つても直ぐ感じます。専門家の言はつしや              うつろ  るには、何でも地盤の下に空洞が出来てゐて、其の空洞へ上の磐石が欠  けて落ちる音響ださうですから、破裂する憂ひはないさうですが、しか                  が ば  し地盤がさう欠けてるとすると、俄破と下に堕ち込んで了はないとも云  へませんからね。』  無心に語る阿爺の話が、僕の耳には生きた仁王経かの如うに聞えた。何                              おのゝ  処かの前途を諷してゐるかの如うにも聞き做されて、心ひそかに悸いた。              いだ  それに僕は自分が心窃かに抱いてゐた多年の疑問が解けたかに思へた。            ひと  何故かと云ふと、僕は他の気注かぬ微震を時折感じるが、それは明治二        とま  十四年岐阜に旅つてゐた時に、例の大地震の為に助かりこの無いのに、  不思議に一命を拾つたからであることが、的確に分つて来たからである。         こと  かゝづら       いとま  併し今、そんな話に拘泥つてゐる遑が無い。僕は差迫る必要を訊いた。  『つかぬことをお尋ねするやうですが、あんたは大塩中斎の墓が六甲山                        はなし  にあるとか又は中斎其人が有馬へ来られたやうな伝説でも聞いては居ら  れませんか。』                         き い  『大塩の家族とかゞ入浴に来たことがあるやうに伝聞てゐますが、大塩              こ ゝ  も来たかも知れません。此地のFさんと云ふ老人が、大塩の詩幅を持つ  て居られるとか聞いてゐますから、其処でゞも聞かれませ、余り遠方で  もありませんから…………』       『イヤ怎うも有難う御座いました。』           みんな  と叮嚀に礼を述べて一同は直ぐとそのFさんとやらを訪ねた。

   
 


『最後のマッチ』(抄)目次/その61/その63

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