Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.9.22

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「大塩の乱関係論文集」目次


『最後のマッチ』(抄)
その66

岡田播陽(1873-1946)

好尚会出版部 1922

◇禁転載◇

    なまぐ
八八 腥さ坊主の呪ひは精進堅固の高僧の祈りである(2)

管理人註
  

                        こ ゝ  『それやあんた方の見違ひでせう。私は先祖代々此村に住んで居ますが、  そんな  其麼ことは聞いたこともありませんがな。』  世話方はキツパリと否定する。                           ごんき  『ナンセ此の人(世話方)は役の行者に随いてゐた前鬼後鬼の子孫で、              こ ゝ   ひつこ  先祖が大和の後鬼村から此村へ移住しやはつたのやし、今でも山伏で年 びやく  闢年中山へ入つてゐる人だすさかえな。』  住職は世話方の否定に裏書をした。        もと  『それが灯台下暗しと云ふんぢや御座んせんかな。』              たてづ  虎公は目の色変へて猛然と反抗いた。               わしとこ       や  『ナーニ西郷戦争頃までは、私家から火を与らぬと、山神の崇りを受け           からと  ると云うて、誰一人唐櫃を越すものがなかつた位、私家と唐櫃は縁が深                   や ま  い。それに私は子供の時分から何度唐櫃へ入つたか知れませんから、そ    もの             つ  んな墓があれば、目に触かなけりやならんのです。』      ど こ ま で も  世話方は徹頭徹尾反抗する。         とこ  『しかし君!僕宅へ来る寺の世話方に、南海の住吉神社の境内に先祖代々             い つ  住んでゐる男がある。何日だつたか、その男に、住吉の灯籠の数を問ふ  たら「奈良の鹿の数は分つても高野の墓の数と住吉の石灯籠の数は分り              そんな  ませんな」と云ふから、「其麼に沢山な石灯籠は全体誰が献げたのかね」     と質くと、「一々名前は彫つてあるやうですが、どんな名前か一つも気            がつきません」と答ひよつたからなあ。』      しつこ         きた  世話方の執拗い否定に大頓挫を来さんとする、一同の意気を盛り返すべ く、僕が斯う云ふと、                ゑら             どなた  『イヤ私は唐櫃六甲の事なら、豪さうに云ふや御座んせんが、何方にも        つもり  負けは取らん了見です。』  世話方はいよ/\ムキになり出した。                  だいえんざん              『大塩の墓が見つかつたからつて、大塩山中斎寺を建てゝ御祈祷屋を営          そんな  りやしないから、其麼に商売敵の如うに言は無くたつて可いさ。』   おんばう          とりあげばゞ  『隠坊をつかまへて 産婆 を頼みやしないからまあ安心し給へ。』   マツサージ  『摩擦の阿爺に脳膸の根本原理を尋ねやしないからね。はゝゝゝ』  ふたり  みんな                   こんな  MYも一同の士気を沮喪させてはと気遣つたのか、這様ことを言つて世 話方を嘲殺せうとする。                                 こ ゝ  『イヤ有難い!世話方君。若しも中斎先生の墓が発見されたら早速此寺                           もろとも  へ御礼に来るよ。兎に角、此の寺の世話方たる君が住職諸共、斯うして  我々を鞭韃して呉れられた深甚なる御好意は感謝するよ。』         みんな  斯う言つて僕が一同を促して立上りかけると、  『先生!御一同の為に御災難除けの御祈祷をしますから…………』  と、住職は云ふ。             どうか           かゝ  『そりや甚だ迷惑だよ。何卒我々にドエライ災難が注るやうに祈つて置  いて呉れ玉へ…………何が阿呆らしいことがあるものか。一生懸命に呪                 なまぐ  つてゐて呉れ玉へ。何故つて君!腥さ坊主の呪ひは精進堅固の高僧の御  祈祷と同じだからね。』  『はゝゝゝ仕様も無い…………』

   


『最後のマッチ』(抄)目次/その65/その67

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