気散じな住職は笑ひながら、起つて別室へ入つたが、やがて一幅の古い
そ れ
軸物を取出して来て皆の前へ拡げた。其幅は密画密彩の清盛の肖像である。
ギリシヤ ローマ い
『清盛は希臘人だとか、羅馬人だとか伝ふ説があるやうですが、成程、
こ れ ど
此像を見ますると、怎うも日本人では無さゝうですね。』
き
住職は飛んでも無いことを質き出した。
やくし
『そら源軍の為に扼止されて海中の藻屑と化つて了つたけれども、平家
が逆境に陥るや否や、一門残らず海路を西へ、鳴物入で日本を去らうと
さ
したのは事実だし、清盛の海路工事や福原遷都も爾うした時の準備だつ
ひよつと
たのかも知れないが、万一すると却つて生粋の日本人だつたかも知れな
いよ。』
『先生!文化虫対山化虫の御諷刺の如うですね。それとも労資係争問題
若しくば男女の闘争を諷して居らつしやるのですかね。』
は や
『イヤ平氏が没落前には、いろんな奇怪事が降つて来て音楽が流行つた
が、西海に没した平氏の亡霊が復活したのか、西国から勤王の志士が蹶
おはらい
起して、東国の幕軍を滅ぼした明治維新前には、御幣さんが降つて、全
はがき
国民は「えぢやないか踊り」に狂つたらしいが、「幸福の為の端書」が
ダンス
降つて、舞踏に有頂天になつて居る国の前途が気遣はれるぢやないかね。』
あはたゞ
怪訝な顔して聞いて居た住職は、何か発見でもしたかの如うに、慌しく
叫んだ。
『さうすると、ロスキーのやうに聞いとりました大江山の酒呑童子を、
和蘭人であつたやうに云ふ人がおますが、マンザラ嘘でもないのですか
いな。』
『頼光は刀の精だとか云ふ事だから、和蘭の精かも知れないね。』
『和蘭の精ちうと…………』
に く コンデンス
『又の名は享楽といつてね。性欲の凝塊だよ。』
ア グ リ ゆ な めうと カ ル モ
『和蘭人といへば阿具利とか名ふ有馬の湯女と夫婦になつて、加留母と
い い ごいつしん こ の
か称ふ女の子を産んだとか伝ふ宣教師が、御維新前に唐櫃村に住んで居
たさうですぜ。』
こんな こと
暫く黙つて居た世話方が突然斯麼言を言つて僕の答へを促した。
『其の湯女は宣教師が死んでから、富山の売薬行商人と一緒になつて、
のち
久しく丹波綾部郡の五箇荘村とかに住んでゐたが、後、巡礼と六十六部
くに/゛\
になつて諸国を巡り大坂へも出て木津に居つたとか伝ふ天理教のおみき
婆さんの師匠だとか伝ふ西班牙人の事ではないかね。』
う ち
『イヤさうかも知れません。我家の死んだ婆さんが何でも其麼話をして
ちかく
居たかと思ひます。私の母はおみき婆さんの生れた近村で生れましたや
し、父は行者で、おみき婆さんとも懇意だつたものですから、或はさう
こ と
した事情を聞いて居たのかも知れません。』
『併し、加留母の先夫だつた宣教師は和蘭人に化けてゐたらしいが、実
は西班牙人だつたらしいのだ。和蘭人はゼウスを信じて居ても布教はし
ないといふので、三代将軍時代から通商を許されてゐたのだからね。』
くもつ
『イヤおみき婆さんが加留母から貰つて供物にし、信者に与へて居たと
かいふ金米糖は、西班牙の菓子ださうですし、例の神楽踊も西班牙の古
代の踊りに手を付けたのださうですからね。神楽歌なども怎うせ讃美歌
を模字つたのでせうよ。』
|