Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.9.24

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「大塩の乱関係論文集」目次


『最後のマッチ』(抄)
その68

岡田播陽(1873-1946)

好尚会出版部 1922

◇禁転載◇

    なまぐ
八八 腥さ坊主の呪ひは精進堅固の高僧の祈りである(4)

管理人註
  

        まこと             ヨハネ         ことば  『それに「神は真なり道なり」の基督の言葉や約翰の言つた「道」の意      まみちいやひろことしらつめのみこと  なづけ         ゼウス  味から「真道弥広言知女命」と命名たのだし、日本の天帝天満自在天神  の紋章たる梅鉢を徽章にしたこと、甘露台は地上の天国を意味したこと          しもよみのみこと            ぐわん  や、十柱の神の中の雲読命が昇天の基督であり、超世の願では無い「世  界一列」は博愛を意味し、最後の審判を「世界の立換へ」殉教的犠牲心             おちい     な ほ  を「人助けの為に谷底に陥れ」と意訳したのだからな。尤もそれは天輪    みこと                       てんりん    な  王の命時代のことで、それがその後、天理教と変じ、更に顛淪教と堕つ  て了つた如うだが…………』                 うしろ  斯う曰つて僕は振返つて見ると、背後に居た筈の贅疣団は一人も居ない。     『怎うしたりだらう?』      僕が訝ふと、        そ と  『ボツ/\戸外へ出て行きましたよ。』                  と呟きながら虎公と巳のやんは起ちかける。贅疣団を呼び戻しに出かけ      ふたり            こ ゝ           こがらし るらしい。YMと一緒に僕も此等を辞して戸外へ出ると、凩が横倒ふしに                              び く 吹きつけて僅かに残つた銀杏の枯葉をふるひ落してゐる中に、微懼ともし                    こ ゝ ないで鴉が止まつてゐる。贅疣団は昔、此村へ里子に来て居た貴公子が金                                 そ れ 銀の鶏を埋めたとか云ふ山へ其の泣き声を聞きに行つたとか。今日が其鶏 を埋めめた当日で、泣き声が聞えるとて、毎年村民は聞きに行くとか云ふ                        うづ ことである。結城の城址に九十九万本の黄金の棒が埋まつてあるとか。地      中に金の生る木があつて、吉野の何処やらと阿波の何処やらかへ枝を出し てゐる。都合で何処へでも枝を伸ばさせるとか、大阪市中の何処やらに三                        うち 千万円とかの正金が埋もつてゐねと云へば、一夜の間に一宗が樹立する世      かね     きん の中、天地金の神に金を磨く紫団とか、金比羅さんとか、金の字さへ付け    も て                           なにゆゑ たら歓迎る金禍本位の此節には、持つて来いの名所ではないか。僕は何故 爾うした名所見物人を連れて来たかと、又そろそろと悔い出した。併し、                  か へ   と き 金を借りて責立てらた者で無いと、返済す刹那の嬉しさでは解らない。彼                                 ひ と 等の身になつて考へてやると、己れ自身の精神衝動からで無く、全く他人   そ れ の衝動に動かされてゐるのであるから、苦労をしたところで、自分がそれ                      ひ と によつて満足することは能きないであらう。他人の精神衝動の犠牲となり、 自らの意志を抑へてゐる彼等は、今日の筋肉労働者若しくは下級の精神労 働者同様、思へば気の毒の極みでは無いか。それに一時の感激に附和雷同 した連中に、何日迄も緊張しろといつてもそれは無理である。厭気はさし                         いた たが志願兵の余義なさに、渋々跟堕いて来るのは寧ろ傷ましいことではな                                 ふた いか。それにつけてもY君、M君には感謝の念を払はずには居れない。M              あこがれ Yに求道心あればこそ、僕の憧憬がMYの刺撃となり、僕の感興がMYの 疲労を助け得るのである。而もMYに在つては向つては向上的努力その儘 が無限歓喜であるらしい。然し、僕に斯うしたことを気付かしめたのは、 贅疣団の態度そのものである。MYの緊張は彼等の苦痛であり、YMの躍 進は彼等の困憊であることによつて、僕はYMの光を見ることが能きたか                    しじつ らだ。浮薄に見えるY青年の本質が如何に摯実であり、鋳型に嵌つて居る                             かたじ かに思はれるM青年が鋳型を破つてゐるかゞ窺ひ得られたのは辱けない。           たゝ            あが 僕は前に孔子を大盗と讃へた。中斎、親鸞を巨賊と崇め、無病息災な人間   からだ には身体が無いと言つたこともある。真の貞女は夫の存在を忘れ、真の孝                  さう 子は父母の存在を忘れてゐる如うに、爾した人達目には一人の帰依者も映 じなかつたに相違ない。帰依者を自分に奪つてゐるからである。僕がYM を自分に奪つて居るのでなければ、僕がYMに摂取されて居るのであらう。 僕にはYMの姿が無い。YMの目にも恐らく僕の姿は映じないであらう。     こ そ どろ      さう YMは狐鼠泥であり、僕亦草賊であらうか。然しだ。基督は、彼れの弟子 に解せられずして、僧侶と支配者と富者の方が、能く基督を理解したので はないか。理解したなればこそ、殺したのではないか。真の理解者は離背                    にくしん 者の中に在らねばならない、贅疣団、或は肉身団であるかも知れないぞ。  こんな                  はたご  斯麼ことを思ひながら藤屋と名ふ百姓片手の旅籠屋兼支度所へ腰を据ゑ た。肉身団待合す為であつた。併し贅疣団の帰つて来た時は、日は西へ傾         こ ゝ   とま いて居た。一同此屋に宿ることにして、明日の活動に資すべく宵寝をやつ た。




















贅疣
イボ、無用のもの








































































摯実
心がこもりまじめ
なさま、誠実
 


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