Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.9.25

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「大塩の乱関係論文集」目次


『最後のマッチ』(抄)
その69

岡田播陽(1873-1946)

好尚会出版部 1922

◇禁転載◇

八九 湯槽ヶ谷の鬼

管理人註
  

         さうまい  斯くて一同は翌朝早昧に宿を出て、元の宝塔寺の建つてあつたといふ古 寺山の頂上に辿りついて、此処からいよ/\探索に取りかゝる。勿論それ /゛\部署を定め、厳重に手分けして、仏ケ谷、行者谷、桂ケ谷、ナバ谷、           ゆぶね             くぬぎ               くわつえふ こん 逢ケ谷、白谷、横谷、湯槽ケ谷などいふ、櫟、楢、槇、栗などの濶葉を混          へんばく じた赤松の深林や、扁柏と杉との混淆喬林の谷々を、縦横無尽に駆け摺り 廻つた。迂濶と深い穴に踏込んで「アツ!」と叫んだ途端にパツと下から                             や    いばら 飛び行く鳥は、何鳥かと見る間に何処へか雲霞、残雪と氷に爛けた足を荊 棘に傷けられて泣き顔をする男もあれば、蔦の根を蛇かと思つて胆を冷や す男もあつて、逢ケ谷から湯槽ケ谷にかけて深林に突入突出、熊笹の根を        むら 分け荊棘や枯草叢を探して見たが、墓は愚か、何等さうした痕跡すらも身 当らなかつたのである。      せ こ    まる  大勢の勢子が、全一日山林を駆けずり廻つても兎一匹狩り出し得なかつ た失望が、言はず語らず一同の心を支配してゐたらしい。それでも僕は士 気を鼓舞すべく、大いに前途の有望な事を語つて見たが、口答へもせず、 謹んで聞いて呉れるだけ、それだけ頼りない感を僕は受取つたのである。                みんな 僕に対して従順なだけ、それだけ衆の公憤は、虎公の一身に集まり、憐む べき虎公は、終に一同の怨府となつたらしい。                  『虎公!貴様が、いろんな事を吐かすから、俺等も正月早々、こんな酷  い目に会はにやならぬ事になつたんだ、墓を見たなんて、まつたく嘘だ  らう…………嘘なら嘘と早く吐かさんか、ヤイ吐かさんか。』               はじま  斯うした荒詮議が彼等の間に初つた。  『イエ、たしかに此の辺で見たのですがなあ、何分五六年前の事ではあ  るし、それに其の後何遍か見に来ても、ネツから見附からぬのですから  なあ、嘘と云れたつて申訳がありませんや。』  虎公は平然として斯う答へるのであつた。其の言葉に一味の真実がある 如うではあるが、何より墓の無いのが証拠、キツパリ嘘と白状せぬ限り、                             げきかう 虎公の平然たる態度が極めてズウ/\しく見えたので、一同の激昴はいよ            はしや                 わかもの /\昴じて、ガヤ/\と喧囂ぎ立てる。気の荒い壮漢が一人、虎公に噛み つかんばかりの勢で、  『コラ虎公!馬鹿にするねえ!』  言つたかと思ふと、いきなり鉄拳をグワンと喰はせる。 『ウヌ…………』                        さいか  とばかり、流石に虎公激したが、癇癪玉をグツと臍下に押込み、  『こゝだ/\。これが先生に会はぬ先の虎公だつたら、容赦は出来ねえ              す              い      な  ところだが、大きな灸を點えられて、既う善い子に化つた俺やあ、酒よ               よ し           よ し  り好きな喧嘩は彼の時から廃棄ちやつたのだ…………諾矣、俺が殴られ          いえ  て、手前等の腹が癒るなら、殴れ殴れ!金輪際殴つて呉れ!俺が殴られ     く た ば       ・・・・・・       たしか  て!苦多破つたら、この湯槽ケ谷の鬼になつて、俺が確実に見た其の墓   ありか                   わい  の所在を、夢枕に立つてでも、先生に教へてやる哩。さあ殴れ!殴つて  呉れ…………』               ど つ か         啖呵を切つて、双肌脱ぎ、胴墜下と大地に胡坐を趺いた。  『吐かしたなツ!』  『やつゝけろツ!』   い            ば ら               叫ふより早く 破落/\と鉄拳の雨が虎公の上に降ちた時、ヂーツと今 まで成行を見てゐた僕は、もう堪らず飛んで行つた。                        め の さき  一同が斯の如うな乱暴を働いて居る処は、ツイ目睫間と思はれるのに、 韋駄天を以 て許された僕の健脚で、幾ら走つても/\行き着かぬこそ不思議なれ。  『オーイ待つて呉れ/\』       と声打嗄らして走つても/\、距離は依然として同じことなので、僕は        い ら 気がいよいよ焦躁つくばかり。  『コラ待たぬかツ!』  大喝一声すると、一同は、  『ソラ中斎の幽霊が来たぞツ!』                            ち み どろ  と叫んで蜘蛛の子を散らした如うに逃げて行く。あとに血海泥になつた                あ    につこり 虎公が、嬉しさうに僕の顔を見仰げて莞爾したかと思ふと、バタリ其処へ ぶつたふ                    ふかみ 打倒れた一刹那、忽ち大地が二つに裂けて、僕は底知れぬ深底に堕ちて了                                いは つた。と思ふところで、目を覚ませば、是れなん探索に疲れ果てゝ、巌に うづくま                 ぢやう 蹲踞つたまゝの居眠りに、危くも結んだ一場の夢であつた。        『先生!既うお目が覚めましたか、此の谷も矢つ張駄目なやうです。予            定通り、頂上まで捜つゝけませうかな。』    こす                             目を擦ると、夢の中には一向出て来なかつたY君とM君が僕の前に佇つ たゐる。


   
 


『最後のマッチ』(抄)目次/その68/その70

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