Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.9.29

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「大塩の乱関係論文集」目次


『最後のマッチ』(抄)
その73

岡田播陽(1873-1946)

好尚会出版部 1922

◇禁転載◇

九一 怪しの一つ火(2)

管理人註
  

          そば  僕は意外な感がして傍へ近付きかけると何かしら足に触つたものがある。            ブリキ 手に取つて熟視すると、錻力製の蝋燭ランプであつた。怪火と見えたのは これ 此だつたのかと、僕は自分の怯懦に驚いた。然し蝋燭は殆どたつて了つて                         ひたすら ゐる。山賊はと見ると、果して好々爺であつた。僕は只管に其の不礼を謝       いたは して好々爺を劬つた。聞けば好々爺が韋駄天走りの原因は、蝋燭のたゝぬ 間に人家を見つけたいからであつた。摩耶山詣での帰りに、路を迷うてこ んな方へ来たとの事、途中日が暮れて山中の水車小屋で提灯を借つたのだ が、蝋燭がつかひさしのたゞ一本しか無かつたとか。僕は今更に悪魔は自 己内心の幻影である。而も刹那の勇気は恐怖の結晶であり、安心とは恐怖 の反動以外には存しないといふことを痛感せざるを得なかつた。しかし僕                          あら の遠眼に山賊と映じた好々爺も、好々爺の面前に山賊と見はれた僕も、互 に思ひ設けぬ道伴れを得たのを喜んだ、而も此の時、行手にあたつて、チ       ほのみ ラリと灯火が仄見えたのは、言ひ難き懐しさを覚えしめた。それが縦令外 国人は愚か、仇敵の家から漏れる光であつても、闇夜の灯ほど、旅人の心 を慰めるものはない。  漸く辿り着いたのは果して米国商人の別荘であつた。生半可な英語を操 つてヒケを取るよりも、こゝは一番日本語で、国威を発揮してやらうて思 ひついた僕は、門口からイキナリ、  『オイ、日本人の家は此の辺に無いか。』       げつぜつ  と叫んだ。鴃舌が中から聞えるかと思ひきや優しいジヤパニーズ・ウー マンの声であつたのは、聊か拍子抜けの気味であつた。         どちら   いらつ  『ハイ、今時分何方へ被行しやいますか、こゝはね、外人村ですが、そ              ひつじさる  の下の右の道を真つ直ぐに未申に取つて行かれますと、左手に大きな記  念碑が建つてゐます、その記念碑から少し行きますと、郵便局がありま  す、郵便局の隣りに一軒茶屋があります…………』  と叮嚀に教へて呉れるのであつた。ラシヤメンか、但ししベビアマか、 声の主の詮議は僕の利害に関せぬ事と、今度はアベコベに、  『Thank you very much』  と洒落れて其処を辞せんとすると、好々爺は蝋燭の無心を云つてゐる。 僕も提灯を借つて好々爺と左と右に分れ、教へられた道を進むと、風はま す/\荒吹くが空は聊か明るくなつて来たやうで、行く手の丘上に、記念                            そ  れ 碑やうの一大石柱が仄見える。僕は何の記念碑であるかと其石柱に近付く と、碑の両面からヌツと顕れた人影二つ。          ぞ つ         つい  思ひかけぬから慄然とした僕の心は、次で聞えた声によつて歓喜に躍つ たのであつた。  『先生、今晩は…………』                       ふたり  唐櫃六甲の頂上から、大勢と一緒に帰つた筈のYMが、間道を抜けて、 早くも此の処に駈けつけて、僕の来るのを待つてゐたと云ふ。これで悲劇 は喜劇と化して三人は大笑ひ。この時の二人は、僕に取つて従前に倍して、 新しく貴く、また懐しきものであつた。雲は破れて八日の月は美しい顔を 見せた。




























鴃舌
外国人の話す意味
のわからない言葉
をいやしめていう
語
 


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