Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.10.

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「大塩の乱関係論文集」目次


『最後のマッチ』(抄)
その75

岡田播陽(1873-1946)

好尚会出版部 1922

◇禁転載◇

九二 外人村から洞窟へ(2)

管理人註
  

                 ぎよしう  然し、残月白き朝ぼらけに靄を漕ぐ漁舟の外に、目を遮るものとては、 たま/\飛び交ふ水鳥ばかりであつた小野浜にスクーナー、ケツチ等の横 帆船から、バーク、バーカンチン等の横縦帆船、ブリツク、フルリグドシ               とも ツプ等の縦帆船の舷々相当り、舳々相次げる今に猶、和船本位の兵庫港、                  ゆうべ  た         ゆる 久しか振りに先頃下神の砌、其港頭の夕に佇つた僕はそゞろ心を揺がせら            よこた                    れた。墨絵の如うに遠く横はる防波堤の灯火や、遠近の舷灯かせ濃霧に浸          またゝ     ひかり        ゆ 染み、曇り勝ちの空に瞬く星の幽光が、亡き母、逝きし子の魂の如うに思                 そゝ はれて、不覚の涙を水と空との間に濺がざるを得なかつた。消え行く船の    ね   し 笛の音が泌み/゛\と身に迫るのであつた。  それはさて昨夜見た記念碑、僕等三人の為にも、再会の記念となつた其    こんてう の碑を今朝新しく見て、明治三十八年英人グルームが、初めて此の地の草 開きをしたことが分つた。  して見ると、日本在来の特殊部落に比して、更に/\後進部落であらね ばならぬ。彼等の有する八十五町歩に亘るゴルフ場は、彼等の生活の余裕 を示して余りあるが、しかし村としては従来は勿論、将来と雖も、それほ ど発展するやうには思はれない。        のち  『幾世紀かの後、平家の落人と云ふ五家村のやうなものになつて了はね  ばよいが……………』        ひ と  とM君が、他人の疝気を頭痛に病んだのも可笑しい。                              やゝ  ワイ/\連が居なくなつて、モトの水入らずの同行三人、談興動もすれ ば最高潮まで沸騰するのであつたが、目的を達するまでは、余り与太るの                  ・・・・ も、山霊に対して憚りありと、今日はひたすらに山路を急いだ甲斐あつて、 昨日の道を逆戻り、山の背を伝うて三千五十尺といふ有馬六甲の頂上に立                      ほんらん つた時の心地快さ。西方には播丹の山々、河泉の峰巒が海の東西に薄紫に ぼかされて、夢のやうに溶けてゐる。寒気に凍てた地層からはぽか/\と                   せい/\          いきほひ 湯気が上つて、青く芽ぐんだ草の葉は、生々と天地と戦ふ勢である。嵐に         いき/\ 身顫ひしながら、生々と呼吸をしてゐる。


目次の章名は
「外人村」


『最後のマッチ』(抄)目次/その74/その76

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