Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.10.5

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「大塩の乱関係論文集」目次


『最後のマッチ』(抄)
その78

岡田播陽(1873-1946)

好尚会出版部 1922

◇禁転載◇

九三 涙の光(2)

管理人註
  

                たうたく  『孔子を右に、柳下恵を左にした盗跖とも、達磨と宝誌とに挟まれた武                  ひつた        ゴルゴタ  帝とも、光秀、五右衛門に前後より引立てられた豊公とも髑髏丘上の三  盗賊とも見えるであらう。篤と見れば中央は中斎、左右は釈迦、耶蘇な  のだが…………』     い      ふたり  僕が応ふと、YMは「はゝゝゝ」と笑つた。    い  たに  谷を出で谿を脱けて山の尾へかへつて来た時には夕日の影が西方不可見                        ぬりつぶ 界に沈んで夜の黒刷毛が刻々神の光筆画たる自然を塗抹さうとする。ドカ /\気温は低下して厚着の僕ですら堪へがたきにと、YMを見やれば平気               さぶ の平左であるらしいのが、僕に寒さうな素振を見せまじとの我慢に見える                          うち    らうらい のだ、僕は心窃かに泣かざるを得なかつた。YMの胸の中には旧朧来の仕                                いたいけ ごとが一パイつまつて居るのではなからうか。若い細君はもとより、可憐 な子供は日々山を望んで、帰りを待詫びつらん、老母は定めし心配して居                    わづら らう。家に変つたことは無きやなど、案じ煩へるかにも思はれる。イヤ親 を忘れ、妻子を忘れ、身を忘れて今では僕に身を任せて居るらしい。Y君 の泥湛保の登山靴が、雪に爛れて真つ赤になつた両脚を思はせる。ボト/\        きもの に濡れたM君の衣服が凍死者の肌を偲ばせる。YMは覚らずして僕の為に かひな         いと 臂どころか生命まで裂いても厭はぬらしく思はれて、僕はYMの為に死ん でもやりたい気になつた。僕はYMが心の底から可愛くなつた。YMに対                              どんな する考へも次第々々に変つて来た。まだ/\変つて来るだらう。怎麼人間    か     あ      き め            でも斯うだ彼あだと断定らるべきものではない。怎う云ふ人間か分らない が、分けると淋しく感ずる人は知己である。世界中の人間は刻々変化する 自己自身の影である。而も刻々の変化其の物が、永久に変らない自己の生 命なのではないか。世間を去つて斯うした所に久しく居ると、世間が莫迦 に恋しくなることを思ふと、僕の目に映じ来り映じ去る社会の罪悪は、僕                                おのゝ それ自身の心相であることが分つて来る。僕は内心の欠陥を外に見て戦慄                         よしや はた   どんな いて居るのではないか。つまり僕自身の問題である。縦令他から怎麼に迫                      はた 害されやうとも、それは自分の罪である。総て他より自分に加へられるこ                              とは、悉く自分の罪である。人、真に罪を犯した時は、却つて他から加へ られたかに思はれる、如何なる災害も、如何なる圧迫も、如何なる恥辱も         きた        ひと 自分に罪なくして来るものではない。他を怨み天を怨む者ほど、罪障は深       なにゆえ     な       けだか いのだ。僕は何故かYMの人と為りが次第々々に崇高く見える。而もそれ がYMの真相であるかに思へて来た。僕とYMとは今が初対面だ。これま                  ぜん で会つて会はなかつたのである。数年前から知つてゐたY君とも会つて居 なかつた。実際Y君が呑気に見えてゐるのは堪へられぬ淋しさと、悲しさ          だゝ と、怖ろしさと、腹立しさの変形たることが痛感されて来た。彼は世に恐 ろしき不平漢だ。彼の読易もそれから逃れやうとする無自覚的要求だ。い よ/\堪へられなくなつた時、僕の所へ来るのであらう。彼の頓狂声は涙                       線破裂の響かも知れない、耳鳥斎やドーミエの画が単なる滑稽に見え、ド ンキホーテが訳もなく可笑しく感ぜられるのは、彼等に取つては保護色で    あんな         はた ある。彼麼に真剣な人間は、他から滑稽に思はれるところに生かされてゐ るのである。Y君の態度が何となく滑稽に見えるのは君が真面目過ぎるか          ちが らだ。しかし人が気狂ひだと思ふほどの情熱は無い。「自分は、芸術を生 むことによつて救はれる。衒気慢気、肉臭俗臭のトルストイも、自己の作 品に救はれた。生れながらの犯罪者たる親鸞も自作和讃に、造悪心の燃焼                      いそし を消止め/\したではないか」などと、創作に励んだ時代もあるらしいが、 彼には芸術家に通有した全身の能力が何時も或る一つ事に凝集する燃焼質 が足りない。どだい、鍵で扉は開きはするが、中へ入らうとはしない。物                              さ を見詰めやうとしない趣味性に堕して了ふ傾きがある。然し、離縁つた妻 には未練が残る。何でも一度破つたものは諦めがつか無い。引裂いたり、 ぶつゝ           そ れ 抛漬けたりするのは余りに其物を愛するからだ。といつてそれ以上、力が 無いと其物に這入つても行けないが、一度芸術の畑に入つて幾度も自作を                        破り棄てたY君は、終生芸術の圏外に去ることは能きぬであらう。而も最 初の事は最後の事である。芸術から実業へ移つたY君は、今、芸術を攻撃                                ひとたび して居るが、内心の要求は攻撃の姿。排斥の色を以つて選択される、一度、    もたら                  だうせん 鑑真が齎持した四分律に心を傾け、大安寺行表に道伝来の北禅を授かつ                                な ら た最澄は、己が祖先の地たる支那に入つて帰来、大乗円密戒を以て寧楽の 舌僧攻撃に一生を費したが、その内容実質は四分律的であり、北乗的であ                    おしへ り舌僧的であつた。幼時より姫孔、老荘の教を学び、周詩楚賦を修め、十                     ろうこ 八歳の時、一沙門より虚空蔵求聞持法を得て聾瞽指帰を著し、姫孔老荘を 偏膚なりとして、仏陀の教旨を鼓吹した弘法は、言ふまでもなく兵法の代          ごんせつ         し え りに儀軌を以てし、言説を以て刀鎗に代へた緇衣の英雄ではあるが、又烏 帽子を冠り袈裟を纏ふた儒、道二教の発揮者では無かつたか。ブルジユワ       あた 生活は愚か、能ふべくんば貴族生活がしたいと念掛ける者ほど、貧民や労           こと  い 働者に同情したらしい言を述つて居るではないか。進んで猛虎に五体を喰           いのち  つな はせる人間は、己れの生命を継ぐ為には、我児をも殺して食ひ兼ねない人 間だらう。


章名は目次よる
(本文にはなし)


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