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すべか
須らく歓喜すべく感謝すべき筈の往生極楽が、何故か、僕には一向に難
はか
有くない。何だか謀られたやうに思はれて仕方がないからである。すると
ね ちかよ
間もなく楽の音に連れて無数の天人が静々と蓮歩を移して僕に近接りたま
ふ。何れも相好円満な菩薩であるらしい。猛烈なる自然の盲目的威力に対
ごん し な ぜ
しては一言を発し得なかつた僕も、諸天諸菩薩には話が為易く、何故こん
なまぬる かた
な微温い極楽見た如うな所へ僕を蓮れて来たかを呟り初めた時、天人と見
ひがめ すさま
たは僻目、眼を転ずれば其の一々が悪鬼羅刹の凶相凄じく、青鬼あり赤鬼
かなぼう さすまた
あり黒鬼あり、金棒、差又、火の車、思ひ/\の得物、有らん限りの刑具
さいな
を以て僕を責め苛まうとするのであつた。見渡す限りは八寒地獄、天は黒
たゞ そび
く地は爛れて剣山聳え刀樹立つ、惨憺凄愴たる光景に覚えず戦慄しつゝ如
こ きは
何になりゆく我が身ぞと進退維れ谷まつてゐる時、
『先生々々、何うしられましたか?』
ふたり
YMに起されて我に帰れば、戸外には風雨の響が凄まじい。驚いて権現
こ しせき
堂を這ひ出て見ると、雨は無くして、一面の暁霧満山を罩めて咫尺を弁ず
てんぺう
ることすら出来ない。天一過、遠く砂石も飛ばして山麓の長林に轟き渡
るとき、見よ、東天に真紅の幕が垂れ初めた。天籟のラツパ二たび鳴つて、
とばり とざ
それが黄金の扉を開け、三たび鳴つて瑠璃の戸帳を鎖す美しき御来光、霧
う
雨のパプテスマを享けた八百八谷を五色七色に彩る荘厳さ。海抜三千尺の
高処から見下したとき、苦しかつた夢の跡は名残なく消えて、僕は忽ち創
よみがへ
造神の自覚に甦つたのである。
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蓮歩
金蓮歩、
美人のあで
やかな歩み
咫尺
距離がきわめ
て近いこと
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