Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.10.9

玄関へ

「大塩の乱関係論文集」目次


『最後のマッチ』(抄)
その82

岡田播陽(1873-1946)

好尚会出版部 1922

◇禁転載◇

九六 耆闍崛山より真つ逆さま

管理人註
  

                             ねごと  昼の無神論者も、夜になると有神論者になると云ふのは毛唐の寝語であ                  ・・・ るが、僕のはそれを逆に、夜の夢想にさんざ神仏に脅迫された代り、昼に           なつて一躍創造神に化つた次第である。反動か、自覚か、自分では無論わ からぬが、兎に角此の時の気分、実に物外世表に超然たるものであつた。                   そ れ           さなが ぶつ 見渡せば茅渟の浦、大阪湾も、昨日の光景とは異つて、幽玄美妙、宛ら仏 げん  み                てうとん     あまね 眼を拝るかの如う。如来白毫の光と覚しき朝暾の光は普く十方に照して、                   ほうらん 遠く紀淡の山々より、近くは摂河泉播の峯巒、それ/゛\に衆会の菩薩、           ちやうき 摩訶薩、比丘、羅漢、長跪して仏足を礼してゐるかに思はれる。さすが山       ぎしやくつせん            南は陽気だが耆闍崛山も北方面は何となく陰に塞ぢて重苦しい。  あなた こなた      こゞ                み づ  彼方此方は悉く凍つて鉛色に沈み、融けて流れた山落水の、再び凝結し              くぬぎ たものは銀色に輝いてゐる。櫟、楢、栗など雑木林の中に封じられてゐる こうかしやすう  かれは             ひらめ 恒河沙数の乾葉が微風に動いて閃くのが、さながらに琥珀の玉片を散らし        をまつ  めまつ        ときわ ぎ たやうに見え、黒松、赤松、柏、檜などの常葉樹のところ/゛\に点綴せ                             すだれ る碧玉の象眼、更に趣を添へてゐる。白銀の柱と立ち、水晶の簾と垂れた 瀑布二つ三つ、霜白き船坂河原は地上の銀河か、而も今しその銀河を渡る けんぎゆう    えう 牽牛織女は杳として豆よりも小さい。        おもて   う ら        ちが  『絶景だね、山陽と山陰と、まるで風致の異ふ所に、雄大なる此の山の  妙趣はあるのだ。』      あした   ながめ  『高山の晨朝の眺望ほどサブライムにものは、地球上にまたとありませ  んなあ。』          『もし下界に降りずに、此の儘三人で天へ昇つて仕舞ひたいやうですな。』              くだ  『モーゼとエリアが天から降つて共に天国の秘密を語つたと伝ふ高山の          と き  上で祈つて居た当時のキリストが偲ばれるね。目にこそ見えね、崇高な  る此の山上、清浄なる僕等の心事、直ちに神仏と面々相接する変貌山ク  ライマツクスだよ。』                    さんてん        くだ        あたり  僕が意気昴然として斯う言つた時、恰も山巓を少し北に降つた崖の辺際 に足を停めた。     『爾う云へば、先生のお顔が何となく光顔巍々として来たやうですなあ。』           『此処に三つの廬を造つては何うです?』     げん  M君の言の終らぬうち、僕の心は一種の怪しき凶変の予感に打たれた。                             が は   く づ 然し既う遅かつた。アツ!と言ふ間もなく脚下の懸崖、忽ち俄破と崩壊れ て、三人の誇大妄想狂は直下に幾千仭と果しのない深谷に墜落した。  これは夢でなく現実だから堪らない。否、山上の夢から谷底の現実に目 覚めたのだから遣り切れない。残念ながら重力の法則に支配されつゝある                       とくしん     てきめん 人間の生身を有ちながら、創造神の自覚を誇つた涜神の罪は覿面、天にま              よ み          ていたらく で挙げられたカペナウムが地獄に落された為体。余り見つとも好い格好で なかつた事は請合だが、然し何処まで墜落しても、依然として万物の霊表 たる気位だけは取落さず、殊に失脚して墜ち行くときの気分は、飄々乎と                               おこ して羽化して登仙するが如く、別に恐怖と云つたやうな念は少しも生らな                      こ ま かつた。然り而して或る地点に着陸すると、微細かい砂利が足を掬うてズ                    ふたり ル/\/\と滑走。漸つと踏み止まつて、MYを呼ぶと、上の方で応と応                          そば へた間もあらせず、又ズル/\/\とMY共揃つて僕の傍に摺り落ちて来                    あたり  しんまう た。幸にして三人とも怪我はなかつたが、四辺は榛莽生ひ茂つて血路を開 くべき方もない、見上ぐれば壁立幾十仭、天に向つて咆哮せる猛獣の如う                        ざんがん な危巌層々、今にも頭上に転落せんとして威嚇する巉厳の物凄さ。       あ ゝ  折も折、唖々と鳴いて過ぎ行く山鴉が、さも僕等一行を嘲うてゐるやう    いま/\ なのも忌々しい。













朝暾
朝陽


長跪
両ひざを地につ
けて,上半身を
直立させてする
礼


耆闍崛山
釈尊が説法した
とされるインド
の場所






















































カペナウム
ガリラヤ湖の北
西岸にある町
















巉厳
きりたってけわ
しい岩山
 


『最後のマッチ』(抄)目次/その81/その83

「大塩の乱関係論文集」目次

玄関へ