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ねごと
昼の無神論者も、夜になると有神論者になると云ふのは毛唐の寝語であ
・・・
るが、僕のはそれを逆に、夜の夢想にさんざ神仏に脅迫された代り、昼に
な
なつて一躍創造神に化つた次第である。反動か、自覚か、自分では無論わ
からぬが、兎に角此の時の気分、実に物外世表に超然たるものであつた。
そ れ さなが ぶつ
見渡せば茅渟の浦、大阪湾も、昨日の光景とは異つて、幽玄美妙、宛ら仏
げん み てうとん あまね
眼を拝るかの如う。如来白毫の光と覚しき朝暾の光は普く十方に照して、
ほうらん
遠く紀淡の山々より、近くは摂河泉播の峯巒、それ/゛\に衆会の菩薩、
ちやうき
摩訶薩、比丘、羅漢、長跪して仏足を礼してゐるかに思はれる。さすが山
ぎしやくつせん と
南は陽気だが耆闍崛山も北方面は何となく陰に塞ぢて重苦しい。
あなた こなた こゞ み づ
彼方此方は悉く凍つて鉛色に沈み、融けて流れた山落水の、再び凝結し
くぬぎ
たものは銀色に輝いてゐる。櫟、楢、栗など雑木林の中に封じられてゐる
こうかしやすう かれは ひらめ
恒河沙数の乾葉が微風に動いて閃くのが、さながらに琥珀の玉片を散らし
をまつ めまつ ときわ ぎ
たやうに見え、黒松、赤松、柏、檜などの常葉樹のところ/゛\に点綴せ
すだれ
る碧玉の象眼、更に趣を添へてゐる。白銀の柱と立ち、水晶の簾と垂れた
瀑布二つ三つ、霜白き船坂河原は地上の銀河か、而も今しその銀河を渡る
けんぎゆう えう
牽牛織女は杳として豆よりも小さい。
おもて う ら ちが
『絶景だね、山陽と山陰と、まるで風致の異ふ所に、雄大なる此の山の
妙趣はあるのだ。』
あした ながめ
『高山の晨朝の眺望ほどサブライムにものは、地球上にまたとありませ
んなあ。』
お
『もし下界に降りずに、此の儘三人で天へ昇つて仕舞ひたいやうですな。』
くだ
『モーゼとエリアが天から降つて共に天国の秘密を語つたと伝ふ高山の
と き
上で祈つて居た当時のキリストが偲ばれるね。目にこそ見えね、崇高な
る此の山上、清浄なる僕等の心事、直ちに神仏と面々相接する変貌山ク
ライマツクスだよ。』
さんてん くだ あたり
僕が意気昴然として斯う言つた時、恰も山巓を少し北に降つた崖の辺際
に足を停めた。
さ
『爾う云へば、先生のお顔が何となく光顔巍々として来たやうですなあ。』
ろ
『此処に三つの廬を造つては何うです?』
げん
M君の言の終らぬうち、僕の心は一種の怪しき凶変の予感に打たれた。
が は く づ
然し既う遅かつた。アツ!と言ふ間もなく脚下の懸崖、忽ち俄破と崩壊れ
て、三人の誇大妄想狂は直下に幾千仭と果しのない深谷に墜落した。
これは夢でなく現実だから堪らない。否、山上の夢から谷底の現実に目
覚めたのだから遣り切れない。残念ながら重力の法則に支配されつゝある
とくしん てきめん
人間の生身を有ちながら、創造神の自覚を誇つた涜神の罪は覿面、天にま
よ み ていたらく
で挙げられたカペナウムが地獄に落された為体。余り見つとも好い格好で
なかつた事は請合だが、然し何処まで墜落しても、依然として万物の霊表
たる気位だけは取落さず、殊に失脚して墜ち行くときの気分は、飄々乎と
おこ
して羽化して登仙するが如く、別に恐怖と云つたやうな念は少しも生らな
こ ま
かつた。然り而して或る地点に着陸すると、微細かい砂利が足を掬うてズ
ふたり
ル/\/\と滑走。漸つと踏み止まつて、MYを呼ぶと、上の方で応と応
そば
へた間もあらせず、又ズル/\/\とMY共揃つて僕の傍に摺り落ちて来
あたり しんまう
た。幸にして三人とも怪我はなかつたが、四辺は榛莽生ひ茂つて血路を開
くべき方もない、見上ぐれば壁立幾十仭、天に向つて咆哮せる猛獣の如う
ざんがん
な危巌層々、今にも頭上に転落せんとして威嚇する巉厳の物凄さ。
あ ゝ
折も折、唖々と鳴いて過ぎ行く山鴉が、さも僕等一行を嘲うてゐるやう
いま/\
なのも忌々しい。
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朝暾
朝陽
長跪
両ひざを地につ
けて,上半身を
直立させてする
礼
耆闍崛山
釈尊が説法した
とされるインド
の場所
カペナウム
ガリラヤ湖の北
西岸にある町
巉厳
きりたってけわ
しい岩山
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