Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.10.10

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「大塩の乱関係論文集」目次


『最後のマッチ』(抄)
その83

岡田播陽(1873-1946)

好尚会出版部 1922

◇禁転載◇

九七 墓が見える!墓が…………

管理人註
  

               お の            ぼつたく  『先刻、あの山脈の白蛇祠で彼鳥が念掛けてゐた御供物を横奪られた怨 みを鳴いてゐるのでせうよ。』         にらみあ  低い処から鴉を睨仰げたY君が言ふ。                『私は御神酒をグツと一口飲つつけたが、酸ツぱくて臭いのに嘔吐を催  しましたよ。』        つばき                      ばか  M君は地上に唾しつゝ渋面作りながら呟く。僕は何だか狐にでも魅され てゐるのぢやないかと変な気になつて、いろんな妄念に襲はれた。其の妄 念が、だん/\整理されて次第に消えて無くなつた時、白日の如き確信と                          して後に残つたのは、迷信の如うだが、此の六甲山と名ふ山が、やはり一 箇の霊山であると云ふ一念である。昨日山頂に於ける予感的危場と云ひ、                     みだり 稲荷神社の託宣と云ひ、凡骨俗腸の僕等が、漫に此の霊山を踏破して、神     ひら 秘の扉を啓かうとした驕慢が、斯うした意外の墜落によりて戒められると 云ふ事は、寧ろ宿命的に定まつてゐたのである。僕は崇高なる山上の霊覚  ひきか                        ひごろ に引反へて、つく/゛\人間の弱小を感じたのであつた。平素鳥なき里の かふもり     あひて          蝙蝠ばかり対者にしてお山の大将を定めてゐるので、知らず/\増上慢に          からだ 陥つた僕の妄心は、身体が安全であつたゞけ、それだけ木ツ葉微塵に打砕 かれるのであつた。               からと  然し又、思ひ返して見ると、唐櫃六甲の谷々を探り、有馬六甲の山々を もと 索めて遂に見付からなかつた中斎墓が、或は此の辺に在るといふ天啓であ         るかも知れぬ。怎うかして発見したいと志した一念に偽りは無く、これま   へきた で経来つた多少の困難によつて試練された一同の誠意は定めて山霊も嘉納 ましますであらうといふ自信から、探墓の熱心は、小さき自我の誇りの砕 かれたと共に、更に猛烈に燃えて来たのである。此の事をYMに語ると、                       しんまう            けいきよく 二君も共に勇み立ち、やをら身を起して遮二無二榛莽の中に突入し、荊棘 の間を邁進した。ドダイに道といふものは、幾ら行つても有りさうにない。                   らいくわい  ま ゝ 樹木の尽くるところには奇巌散落、怪石磊、往々氷雪に閉ぢられてゐる。                  おく     たす   いくたび つまづ 三人は前後互に呼応し、進めば待ち、後るれば援け、幾度か躓きながら迷          あと ひ行くのであつた。後からの思ひ出になると、其処に一種の面白味も添う て来るが、実際その時はあまり有難い心持ではなかつたのである。  足場を図つて、何と云ふ事なしにZ字形の道を作つて下つて行くと、漸         いとぐち            ありやなしや つと船坂河内原の緒端に達した。河上の濫觴は、有耶無耶の渓水滴々、下                    こほり るに従つて水嵩増し、季節柄、水の多きに冰多しと推測される。山霊一た               こん/\          まり び出水の動員令を下すが最後、滾々たる濁流が巨巌大石を毬の如くに押流 す物凄き其の光景も想像される。併し今は此の河原の平時である。たゞ古 戦場のやうな一面の荒涼、過去の龍躍虎闘の名残たる岩石乱列の間を縫う て行くのであつた。ものゝ四五町も来たかと思ふと、可なり大きな瀑布の      つらゝ                      いづこ 上頭、全面垂氷に覆はれた断崖の頂点に出た。この瀑布の水は何処から来 て居るのか、目撃したところでは一向分らぬ。其処で僕は、今迄辿つて来                             た磊たる岩河の底を走る暗流が無ければならぬと考へた。退くにも退か                みおろ             なら れず、躊躇逡巡、恐る恐る瀑布を瞰下すと、両側の断崖は氷の牙を列べ、                     さかほこ つら 滝壺のあたり恐ろしく尖つた巌角は阿修羅の逆鉾を連ねて落ち来る妄者を    つんざ                すさま 微塵に劈かんと待構へてゐる。夢ならぬ斯の凄じき光景に臨んで、僕は股                 ふたり 慄を禁じ得なかつた。互に見合はすMYの顔も真ツ蒼である。YMも呆れ て何にも言はぬ。僕が利けない口を利かうとした刹那、魂消るではないか、 グワラ/\グワターンと大きな巌が天外から墜ちて来た。  『コリヤ大変!』   あ は     に  周章てゝげやうとしたが、左岸は所謂百間摺りの大砂崩れ、右岸は今            ざんがん ちやうど巨石を降らした巉巌累々たる大衝立、倒れんばかりに突き出した     あやふ      さひはひ    其の傾斜危しとも危し石は幸に一行を距る十間ばかりの巌に激して運動を 停めた。フト其の辺りを見ると巌間の雪に大きな足跡が印せられてゐる。 こんな                 ぞ つ 恁麼時に見出した足跡であつたので一層慄然とするではないか。Y君の鑑          しゝ        あきら       やまいぬ   そ れ 定に俟つまでも無く猪たることは明かである。他に山狗の足跡らしいのは 数へ切れぬほどある。飢虎に五体を与へられて、兎若しくは羊等の危急を 救はれたかに想はれる天山南路の真如親王の当時の光景が偲ばれる。  何時の程にか空は一面の雲で、今にも泣き出しさうになつて来た。進退   きは 茲に谷まつて心細きこと云はんばかりなき其の時、  『アツ!墓が見える…………墓が…………』                ゆびさ  突如叫んだY君が一方の巌頭を指すのであつた。












































嘉納
目上の者が喜ん
で贈り物・進言
などを受け入れ
ること






榛莽
草木の乱れ茂っ
た所







































股慄
恐ろしさでもも
がわなわなと震
えること
 


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