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ゆびさ
Y君の指す方へ視線を注ぐと、如何にも墓がある。高さ十四五間もあり
うち
さうな髑髏形の巨巌の上に、小さな墓石が雑木の裡からチラと頭を出して
ゐる。何だな中斎の墓の如うな気がしてならぬ。
うち
兎に角三人は、この墓の一瞥に依つて九死の中から一生を得たのである。
ふだん とて の ぼ た
平常ならば迚も登攀ることの能きない壁立の巨巌を、気が衝ちきつてゐる
ちかづ
のと、墓に接近きたい一念とが、不思議に三人を清泉目掛けて駆け付くる
よ
渇者の如く、無我無宙に攀ぢ登らせた。然し、又妙なもので、これが若し
あんま げうかう
中斎の墓であつたら、余り僥倖に過ぎるやうにも考へられた。勿論墓探し
に就いては、一行は此の日頃一方ならぬ冒険も敢てした、随分さま/゛\
しの でくわ
の困難も凌いで来た。それにも拘らず、今直ぐ目的の墓に出遇すといふの
は何だか勿体ないやうな気もする。もつと/\苦しんだ揚句でなければ得
られないものを、無代価で貰ふやうな呆気なさが、何となく感じられたの
であつた。而し斯うした思ひ過しや遠慮は、いよ/\其の墓に近付いて見
ると、半肉彫の役行者の石像であつたので、
こ れ
『あゝ此像が中斎墓であつて呉れたら…………』
さたん な
忽ち嗟嘆の声と化つて了つて自分で自分が分らなくなつた。Y君M君の
にんしや
失望は云ふ迄も無い。だが待てよ。役行者と中斎先生、此の二人者の間に、
何だか共通的生命の一貫してゐるものがあるやうだぞ。前者が金剛蔵王の
よ じやうたう
化身であつて、絶大の法力能く一切の群邪を攘蕩した行者であるが、其の
どつこしよ さなが
手にせる独股杵は、宛ら後者が姦曲の心胸を貫いた槍と化り、前者の錫杖
つの
は後者が救民の旗と化り、彼れが勇猛精進の心を現はす角帽子は、此れの
みたま
天意を戴く兜ではないか、孔雀明王呪と親民の古義力の行者と霊の信者、
ひとことぬし うちの えうふ みつぎ からくにひろたり
甲が怪神一言主を撃退めせば、乙は妖巫貢を退治した。韓国広足と平山助
いづ ぜんき ごんき
次郎、孰れにも師を売る弟子もあつた。前鬼後鬼は格之助と済之助にあた
と た
るであらう。兎に角、人の訪ひ来ぬ斯うした寒厳の上に寂しく佇てる此の
墓石は、天に訴へ地に哭いた中斎が絶対孤独の心事を語つてゐるのではな
そ おかみ
いか。而して前者が魔法使ひの妖僧と呪はれて朝廷の御尋ね者となつたの
こは らんくわい
に対して、後者は米屋毀しの乱魁と罵られて天下の凶状持となり、共に世
ふたつ
の容るゝ所とならなかつたのみならず、両ながらその終る所が定かに知れ
ないのである。行者が到る処、深山を開いた事は云ふまでもないがそゞろ
かれ これ かばね
に中斎と山岳との関係が聯想されて、彼は箕面に、此は六甲に、共に屍を
埋めたのではなからうかと思はれる。現に今、六甲山中期せずして行者の
いよ/\ い つ
墓に遇うて、中斎を偲ぶことの愈、切なるものゝある如く、何日か又箕面
山中に中斎の碑を見て行者を弔ふやうな事があるのではあるまいか。
こと
斯う考へて来る時、僕の胸中に、行者が中斎か、中斎が行者か、時を異
にして現れた二偉人が、全く一人格と化し去つて、覚えず僕をして「南無
きはい
神変大菩薩」と念じつゝ其の墓前に跪拝せしめたのであつた。
『先生!こんな所に道が通じてゐますよ。甲山へ脱けられるかも知れま
せんぜ。』
うしろ
Y君は墓石の背後の雑木林の奥に、漸つと身を容るゝ許りの谿間がある
くゞ かいくわつ
のを発見したのである。其処を潜るとだん/\開闊して甲山か、何処か安
全な場所へ出せれさうなので、これ幸ひと三人はピシヨ/\其の渓流を踏
んで行つた。
みのたけ
間もなく身丈より高い熊笹が一面に生ひ繁つたところへ出たかと思ふと、
こさん くら
其処は老松古杉が隙間なく空を覆うた昼猶闇い深林であつた。
『何だか気味の悪い所ですねえ。』
ところ
『然し役行者の墓があつたからこそ、こんな箇所へでも来られたのだ、
あ あそこ
若し彼の墓が無かつたら、僕等は彼処で何うなつてゐるかも知れたもの
ぢやないよ。』
『何にもせよ我々が、これほど真面目なのですから、行者も中斎先生も
きつと
必定行先を適当に導いて下さるのでせうね。』
ゆんで
互に斯う語りながら、一番先頭に進んでゐた僕は、不図左手を見た途端、
『おゝ墓が…………』
覚えず叫んで踊り上つた。遥か向ふの方に非常に大きな墓が佇つてゐる
からである。僕は飛び立つ思ひにその方へ突進した。
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独股杵
密教の法具の
ひとつ
韓国広足
奈良時代の呪術
者、役小角を師
としたが、小角
を告発した
前鬼後鬼
(ぜんきごき)
役小角が従えて
いたとされる夫
婦の鬼
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