さへぎ
斯う言つて更に言葉を継がうとすると、M君は遮る如うに、
むく
『肝腎の墓も発見し得ずして十二分に酬ゐられたと云ふと何だか、一向
かふむ よし
ロヂツクが合はぬではないかと、又お叱りを蒙るかも知れませぬが、縦
や
令墓を発見したところで、其の前に合掌礼拝して帰る位が関の山で、何
そ れ も の
時しか其処に神社が建てられ、其社によりて衣食にありつく神官がある
位の余徳はあるにしましても、それは余りに詰らなさ過ぎるぢやありま
か さ い
せんか、それに古傑の笠の祀られた笠神社を、黴毒神社などヽ訛つて、
ばいどく
黴毒患者を引張込むといつた如うな神主の多い世の中ですからね。』
き み
『そりやM君!神社仏閣が広告館や名利の密猟所に化つてゐる今日こそ、
ちゆうしんぐら
古来の高僧、聖者、英雄、豪傑、若しくは忠臣義士の墓が売薬の広告塔
や芸人の招牌石に化つても居るが、そも/\墓といふものは、先人を追
慕する後人の誠意真情に依つて建てられるものであつて、先人の霊のシ
ムボルであるよりは、寧ろ後人の心の表現なのである。素より昔は生前
エジプト
から自己の墓を造るに忙しかつた埃及の王の如きもあつたが、大観すれ
ば地球その物が人類の墓なのだ。然し埋没せる故人の墓を見出して知己
う ぶ も ち ぬし ゆ
に感激するやうな真純な心の所有者であつてこそ、逝きし心霊の遍在を
信じて随所に真実渇仰の心を以て之に接することが能きるのだと思ふね。
ま
況して中斎先生の如き偉人格は実に天地一貫、永遠不死の神霊である。
へいえん
一念信じて之を仰ぐ時、其の威烈炳焉たる忠魂は忽ち己心に電来するの
いのち
であるが、お互が斯うして死んだ墓を探るのに生命懸けにならなかつた
たゞち
ら、此身此心を直に先生の霊の宿り給ふ活ける墓、否、活ける神殿とし
て献げ奉らんとする信仰は熱発したか否かは疑問だよ。』
ふたり
MYは黙つて聴いてゐる。僕は更に語を継いで、
ヨハネ チテ ニ ス ス ル シテ レバ ノ ヲ ル
『新約聖書約翰伝にも「馬利亜立於墓前而哭、哭時俯視墓内、見
ノ テ ヲ セルヲ ノ ノ レシ ヲ ニ ツテ ニ ク ヲカ ス
天使衣白衣坐耶蘇尸所葬之処、天使謂之曰、婦歟、爾何哭、婦
フテ ニ ク ル ノ リ ヲ レルニ レ ラ ノ ニ ケルカナ ヲ ヒ ヲ ツテ レバ
謂之曰、因人取吾主去、我不知其於何処 置 之、言此畢返顧
ル ノ テルヲ モ ラ ノ ルコトヲ
見耶蘇 立 而不知其 為 耶蘇云々」とある。耶蘇は既に復活して
墓中には居ないのであつた。而も熱心に墓を探つて主を求めた気狂ひじ
マ リ ヤ
みた馬利亜は誰よりも早く、復活した耶蘇に会ふことが能きたのである。
我々が此度の探墓行も爾うした意義と教訓の存することを存することを
喜ばねばならぬ。』
も さ
『然し、我々は御蔭で既う漸うした教訓と意義に満されたのに満足しま
したから、サツサと帰途に就きたいと思ひます。』
盲滅法にYMは帰りを急ぎ出した。やがて来らんとする災厄の予感に襲
おちつ
はれてゐるのであるまいか。と案じられるので、沈着き払つて僕は曰つた。
こ ゝ
『所で僕は一人取残されたいね。実際僕は自己を此山へ葬りに来たのだ
から………………………………』
『えツ?』
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