【前略】
『それ聞いて僕は安心したよ。何故つて君!親鸞抹殺論者は数へきれぬ
程あるのに五左衛門抹殺論者が一人も無いので僕は彼の為に心配してや
つてゐたのでからね』
お も あ
『先生にそれだけ追慕はれたら、五右衞門以て瞑すべしですね。尤も彼
の謹厳な杉浦重剛翁なども、非常に五右衞門を崇拝されてるさうですが
…………』
てんじやう
『だから大塩中斎先生が阿波の十郎兵衛は西行法師の転生だといつて崇
や なにびと
拝されてゐた如うに、カイゼルも亦何人かに依つて礼拝される時が来る
だらうよ。』
『然し、此間撫養へ行きましたら、例の十郎兵衛松の残つてゐる十郎兵
衛の邸跡は或る成金が買取つて、紋も型も無いやうにしてゐましたよ。』
い
『それも可いさ。今でこそ、阿弥陀ケ峰の豊公廟は立派になつてゐるが、
いしだん かけら
僕等の子供の時分には、根こそぎ取払はれて石階の断片一つ無かつたも
しんまう いな
のだ。五輪塔も榛莽に閉されて犬の子一匹行かなかつた。否、行けなか
つた。否、否、行かれぬやうにされたゐたのだ。何せ叡山の麓に在つた
ひ え かつ
日吉神社を担いで来て強いて登山口を塞いでゐたからなあ。併し、僕は
いばら や く づ
荊棘を踏んで漸つと崩壊れてゐたその五輪の塔の辺りへ行つた時、秀頼
あ
の怨みの籠れる君臣豊楽国家安康の銘ある彼の大仏の鐘声が殷々として
響いて来たので、僕は子供心にも、日光を見ないで結構と云ふなとさへ
い
讃はれてゐる日光廟が怪火に焼けねば可いがと心窃かに心配したからな。
秀吉が豊国大明神として祀られるやうになつたのも、さうした虐待の反
動なのだ。僕が彼の東露のエカテリンブルグで一家惨殺の憂目に遭つた
ニコラス二世の遺臣によりて新しく念仏宗が生み出されると謂ふのも其
みなごろし
処だ。遺族の悉くが斑鳩宮で鏖殺にされたればこそ聖徳皇も我国の釈尊
たり勝鬘夫人たり維摩たり得られたのではないか。』
『イヤやがて五右衞門も救世主として全地の人に仰がれる時が来るでせ
うよ。』
たえま
『其の時には今日巡礼者の絶間の無いパレスチナの耶蘇の聖跡は、犬の
う ろ ぬす
子一匹迂路つかなくなるであらうから、其処に行つて麦の穂でも偸んで
供へてやるものがあるだらうよ。はゝゝゝ』
こんな ふたり
恁麼話に僕Yが無宙になつてゐると、ヒョーと虚空に音がして、グラリ
きもの
/\と物干棹が衣服と一緒に降つて来た。Y君が一寸障子を開けた拍子に、
てんべう ゆ る たかしよく
忽ち一陣の天 が室内を襲うて床の間の軸物を振り動揺がし、高卓に立てゝ
つ げ
あつた黄楊の木像が転がり落ちた。木像は中斎像で、軸物は中斎の筆にな
あはたゞ はた
れる七絶である。慌しく木像を起して呉れたY君、何を思ひ出したのか礑
と膝を打ち、
『おゝさう/\、六甲山に大塩中斎の墓があると云ふ者がありますが本
当でせうか?』
ぞ つ
と言ひ出したので、僕は忽ち全身に冷水を浴びせかけられた如うに慄然
とした。
そんな
『君!それや誰が其麼ことを云つたのかね。』
みは
覚えず目を つて斯う問ふた僕は、殆ど夢心地であつた、久しく行方を
さら
捜し求めてゐた父母の便りを聞くかに思はれたからである。鷲に攫はれた
らうべん
我子の行方を、三十年間も捜し求めてゐた良弁僧正の母親が淀川下りの三
十石で、良弁僧正の経歴を聞いた当時の心も斯くやと思はれて、僕は涙ぐ
ましい心地がして来た。
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