げん
緊張充実、触るれば燃えるかの如うなM君の斯うした言は、或は僕に対
する怨言ではなからうかとM君の顔を見ると、カリバリ山上に二人の盗賊
の間に十字架に懸けられた人の如うに、悲痛の底に尊き輝きが潜んで居る
かに思はれる。兎に角、M君は炭塊であつた。初めて見た時から刻々に燃
こ す
えて来て、たう/\全部火に化つて了つた如うである。摩擦れば火を発す
ひと
るが、枯木の如うなY君とは聊か異つて居るらしい。併し夜明け前に孤り
鳴く小鳥の如うで、やがて天地に響き亘る大音声と化るシエレーとは格別
おちつ
縁も無ささうである。成程優しさうで剛情らしく、沈着いて居る如うで、
うろたへもの
其実狼狽者らしいところは、シエレーの一面を偲ばせるが、実質本体は、
か
寧ろその到達の終点として居るらしい彼の「鋳掛屋の説教者」バンヤンに
近くはなからうか。勿論M君にはバンヤン的な剛健な意志は無からうが、
漸々に燃えて来るところが幾らか似通つてゐるかに思はれる。それは恰度、
豪壮らしいY君の外貌が、一見バイロンの心の象徴かに思へるのと一緒で
したし せ ゐ
ある。然しY君は自然に深く親んで居る所為か、何となく寛厚な、純朴な、
おもかげ
湖畔詩人の俤を偲ばせる。それもY君が旧い田舎の富家に生れたからであ
らう。古来民衆の為に真に尽した者は、王者、尊族、若しくは名門、権者
或は富豪、学者か、但しはそれ等の子孫に多い如うに、革命家の多くが詩
くだ う
人であるかに思へるが、未だ嘗て最下に降りて飢餓の洗礼を享けて来ない
で、下級民の同朋となつた上級民も無ければ圧迫と窮困の地層を濾過せず
ふんゆう
に、地上に噴湧した詩人は一人だつてありやしない。Y君もM君と等しく
田舎詩人ではあらうけれど、まだ飢渇のバプテスマを受けてゐない所為か、
安全過ぎるほど安全な人物である。それに意識界のM君は自由思想家らし
ピユーリタン
く見えるけれども、無意識界のM君は、清教徒であつて、神学者の商売道
うちこは
具たる基督に、破壊されて了つてゐるのではないか、しかしこれも遺伝で
と かく
あつてM君と自身の知つたことではないらしい。それは左に右、青春の血
し さ
に燃ゆる物言ふ花も、接吻すると死人の臭ひがする筈である。一指触へて
しびと あいて し
も女は直ぐ死人になつて終生対者を悩ますものと覚りつゝも、死人を担う
も が
てウン/\藻掻いて居れるだけ、それだけY君は幸福だが、M君は異性と
の争闘に一切を犠牲にしてゐるかに思はれる。対者の女はM君の本質に殺
され損ねた為に、却つてM君に殺さんとしてゐるが、M君は殺意されてや
いづ
るほどの度量も無く、さりとて対者を殺しきるには力が足らず、孰れも半
死半生の儘相組んで地獄に陥つて居るらしい。しかし才子らしくて全く融
通の利かなさうなM君としては、三度も自殺を企てたのも無理からぬこと
だと思はれる。
しぼりだ ひと
樹木に蜜汁を搾出させるものは風より外に無く、他に秘密を打明かさせ
ましん
るの道は自己の秘密を打明かす外には無いとか云ふことだが、M君の真身
けん かたぬ
献さに、流石のY君も出発以来袖を裂き裾をからげ、袒ぎながら、未練気
こぼう ころも すがた
に身に纏つてゐた其の誇妄虚慢の心衣を全然脱いで、美しき赤裸々の心姿
を見せた。M君の決心にY君は語る、
さてつ
『イヤ異性の為に全破壊に瀕せる君の悩みは其儘にして事業蹉躓の為に
社会的に自殺せなければならない僕の目下の悶えであらう。併し君から
見ると僕は弱い。弱くて迂愚だ。平凡だ。浅薄だ。所詮今の世に生存の
出来る人間では無い。君の何処までも感情的であり、精神的であるのと
は反対に、何処までも理知的であり、物質的でありながら、物質万能、
理智本位の今の世に虐げられるのだからな。』
ど
怎うやらY君の胸にも遁世思想が湧き上つて来たらしい。六甲山下の此
のシエレーとバイロンは全く度胸を据えたらしい。慥かに生死を超越した
かに思はれる。僕は暗室に幾万燭光かの灯明の点ぜられた心地がした。我
つぼみ ふたり
が全愛を献げたいと願つてゐた人生の莟であり、初穂であるYM、今し酒
屋の大桶から酌み出されたる芳醇にも同じき此のMYが、其の柔かい若い
いきみ なげだ かわぶくろ
生身を抛出さうとする其の潔さを眼前に見ながら旧い革嚢にも劣つた使ひ
かへ
枯しの僕たるものが、怎うしてノコ/\生きて還られやうか。
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