けなげ ふたり こゝろ
健実なYMの覚悟に励まされて、僕は意を決して斯ういつた。静雲止水
あ
に飛鳶躍魚を覚り得ない僕に、閑時に喫緊的の心思を有らうと道理が無い。
ど しう/\ ゆうかん
怎うして又死刃閃き鬼哭愀々たる斯うした忙所に悠間的の風懐を発揮し得
られやうか。たゞ怪我させてはならぬ己れを捨てゝも恙なく帰村させねば
ならぬとばかりに、悶えに悶えてゐたYMに却つて本当に救はれて、極端
なる恐怖から極端なる安心に蘇つたからである。斯う思つて来ると僕には
ひざまづ
YMが神の子の如うな心地がする。僕は跪いて其の靴の紐だも結ぶ資格の
かしら かしら
あるものではない。といつて、罪人の首だといふ如うな善人の頭でも無か
らうし罪業深重の泥凡夫だと叫ぶほどの悪人でもあるまいが、僕にはYM
やみ きた
が心の暗を破つて来れる最後の光明だあるかに思へて来た。YMを通して
人生を見、社会を見ると仏、菩薩の充満し玉ふ浄土の光景を呈し来るに相
違ない。僕は断頭台に上らんとする死刑囚に祈祷されて、基督が復活して、
はいき
茲に在りて覚えず歓呼し拝跪したと云ふ牧師某の心事に想到して、そゞろ
に涙ぐましい心地がして来た。斯くしてYMは何か言はんとして居ると、
ぼうひやう たけ
俄然、山を吹き飛ばしさうな暴が天地を破壊せんばかりに猛り狂つて来
ふ る
たのに戦慄ひ上つたものか、
『オヤ先生!大変ですよ。』
と、覚えず叫んだYMの声は全魂のおのゝきに聞えた。すると忽ち背後
そ れ
に大雷が落下したかの如うな物凄い音がした。驚くまいことか、其声は雲
つ らうさん ぶつたふ
衝はせかりの老杉が根こそぎ打倒れた音であつた。YMが無我夢宙に駆出
すのも無理からぬことである。
あぶな
『危険い/\待て……………………』
あはて
旋風に捲上げられんとして辛くも残つた僕は周章てYMを呼び止めたが、
せうこ ほとん わた
瞬くうちにYMの姿は消えちやつた。ああ「小狐ど済らんとして其尾を
うるほ ほのほ
懦す」か、僕は天を仰いで痛嘆せざるを得ない。雪の火焔の如く下から上
い ゆふもや
へ渦巻き上つて居る。一切を呑み尽す夜と名ふ悪魔はそろ/\薄靄の舌を
うるは まこと し
吐きつゝある。「其首を濡せば孚あつて是を失ふ」とは覚りつゝも、僕は
いきせき
ヂーツとしては居られなくなつた。然し、YMの去つた方向へ息急追つ駆
ど こ ど そ
けて見たけれども、何方へ怎う外れたのか影も形も見当ら無い。無事に帰
つて呉るれば好いが、YMに万一の事があつては大変だ。と僕は俄にYM
が気掛りでならなくなつた。
『オーイY君!M君!オーイ/\』
こた
と、大声挙げて呼べど叫べど、応ふるものは暴風怒号の響ばかりである。
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