Я[大塩の乱 資料館]Я
2011.3.20

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大塩の乱関係論文集目次


『大阪府誌 警察史』

その10

大阪府 1903 より


◇禁転載◇

  第三節 奉行。    第一款 大阪町奉行 附、船奉行并に代官。  大阪町奉行の起原詳ならず、或ひは天正十九年、徳川家康の関東に入る や、北條の臣和田与兵衛を大阪町奉行に任じ、兼ねて相州小田原地奉行を 勤せしめ、同時に山岡助兵衛をも奉行に任じ、東西両奉行として大阪一般 の市政と主管せしめ、時としては一名乃至三名たりしが、享保四年以隆、 二人と定め、以来慶応元年十二月に及ぶと、或ひはいふ、町奉行所の設立 年月は不詳にして、神田与兵衛、初めて任命せられ、尋いで山岡助兵衛、 一に岸助兵衛、之れに代はると、又或ひはいふ、元和五年二月、水野河内 守守信、初めて長崎奉行より東御番所を勤め、又同時に、島田越前守直村、 西御番所を勤め、禄高各千五百石、役料現米六百石を給せらると。 蓋、元和元年五月、城陥りて、徳川家康の有に帰し、内藤紀伊守信正来た り、松平忠明に代りて城代となるや、其の市政を行ふに、両奉行を以つて せしこと、種々の記録に依りて明らかなれば、奉行所の起は、即、元和五 年二月にして、水野及び島田の二氏を以つて、之れが嚆矢とするもの、信 に近きが如し。  当所の町奉行は、老中の支配にして、五百石以上の旗本を以つて任ぜら れ、各一千五百石高にして、他に御役料現米六百石宛あり、其の下に与力 三十騎、同心五十人宛を有せり。其の他、三郷に総年寄あり、在所に代官           おうしょう ありて、各其の政務を鞅掌し、而して其の支配地は、摂河泉播、及ぴ讃州 の塩飽島等にして、中に就き、摂津の西ノ宮、及び兵庫の二ケ所に、各勤 番所を設け、西ノ宮勤番所にば与力同心各一人宛、一ケ月交替、及び土着 の者三人を以つて勤番せしめ、兵庫勤番所は、船見番所にして土着二人を して船舶を見張らしめき。


『大阪府誌 警察史』目次/その9/その11

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