Я[大塩の乱 資料館]Я
2011.3.21

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大塩の乱関係論文集目次


『大阪府誌 警察史』

その11

大阪府 1903 より


◇禁転載◇

 豊臣氏の大阪に市街を興すや、山城国伏見、和泉国堺等の町人を移住せ                   さんごう しめ、中に就き重立たるものに命じて、三郷、即、東天満、船場、西船場 の町割をなさしめ、隆りて慶長年中に至り、長崎港貿易品の取締に付きて、 糸割符人数を定め、当地に於いては二十一人を撰び、三郷を北組、南組、 天満組と改め、以つて市政を分掌せしめ、一郷毎に元締を設け、他は称し て取締衆と云ふ。 尋いで冬陣夏陣となり、人民四方に離散して、市内寂寥となりしかば、徳 川氏は、二たび之れを召集し、且、伏見二百町余の町民を此処に移住せし めて、取締は各町より撰定することヽなり、後、元締を総年寄、取締を町 年寄と改称し、爾来其の職は、多くは世襲となり、みな町奉行の配下に在 りて、民刑以外、総ての市攻に与からしめき。而して総年寄は、一般の実 況を知悉するに非ずば、執務上不便なるを以つて、幕府は、令して民事上 の裁断に限り、必、これを傍聴せしめ、許すに継上下と一刀とを以つてし、 民刑事に関する法度は、幕府よりするものとを問はずに、一に総年寄の手 を経て、一般の町民に之れを伝達せしめるを例とせり。即、其の順序は、 幕府よりするものと、老中より城代、若くは両町奉行へ達し、城代は、之 れを両町奉行ヘ、両町奉行は、之れを三郷総年寄へ達し、三郷総年寄は、 総会所に各町年寄を召集して、其の触書を朗読し、終りて総会所内の掲示 場に之れを掲示し、且、町年寄は、町代に命じて之れを書写せしめ、更に 町会所に於いて、各町人へ伝達せしが、弘化年中より、伝達組と称するも のを設けて、其の組の幹事、及び各町年寄の各町民に伝達することヽせり。  【町奉行一覧 略】


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