Я[大塩の乱 資料館]Я
2011.3.23

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大塩の乱関係論文集目次


『大阪府誌 警察史』

その13

大阪府 1903 より


◇禁転載◇

 抑、代官、犯罪者の探偵、また逮捕等を主とするにあらず、一の司農官 たるを以つて、其の職制の如き、其の條令の如き、多くは農に関し、刑罸 等に属するもの、甚尠なし。是に於いて幕府は、延宝八年、百姓取扱上に つき、代官に令して曰はく、民は国家の大本なれば、代官たるもの、常に 民の辛苦を察し、飢寒の愁なからしめ、又、諸民の奢侈を禁ずるため、自 身質素倹約にして、民の模範となり、民に接するに、諸事手代に放任せず、 身づから之れをなして、上下の懸隔なく、提防、河川、道路、橋梁等の大 破に先だちて、之れを修理し、専、民の費用を省くべしと。 是等は、代官の職権の主なるものにして、司法刑律等に関しては、法令中、 殆、暁星の如し。今その職権中にあるものを抄出すれば、慶安五年正月四 日達せられし末文に、郷中に徒なる百姓ありて、名主等の申付を用ひず、                       くせごと 村々を騒かす者あるときは、鑿索を逐げて、急度曲事を申付け、若、その 命を用ひざるときは、一書を以つて公儀の下知を得べしと云へり。  又、嘗、(年月闕)代官所より勘定奉行へ伺ひしものゝ問答書を抄出す れば、他支配より出作の百姓、その年貢未進の者の他、代官所の者は、其 の代官へ掛合ひて、取斗らはすベく、私領の分、は領主地頭を竣たず、私 代官所のものと同様取計らひ、又、寺社といヘども、之れと同じく、手鎖 等申付べきかとの問に、奉行は答へて曰はく、私領の者といへども、代官 と同じく、一応、領主若くは地頭へ掛合ふべしと。(私領は、藩主の領地 にして、郡代を置き、其の役所を地頭といふ)又代官より問ひて曰はく、 手代の民に接し、其の処置の非分私曲あることを訴へ出でし時は、手代を 取糺し、其の答書を取りて上進すベく、若、手代の取斗方、吟味すべきこ とあらば、之れを問はず、直ちに奉行所へ差出だすベしや。答へて曰はく、 然りと。又人殺、火付盗賊、其の外逆罪に相決候もの申陳候はゝ、痛侯而 相考可申哉、然り。又、村内に於いて、行倒れ死去人あるときは、近村に 至る迄、之れを糺し、怪しき風聞なければ、向寄寺院へ仮埋し、其の往還 端に建札をなし、人相書を認め、半箇年許を経て、猶申出づる者なき時は、 其の儘土葬し、其の所持品等は相伺ふベく、若、尋ね来たる者あらば、十 分吟味をなし、異変なきに於いては、伺ふに及ばず、所持品と共に之れを 下げ、後、之れを届出づべしや、然りと。 以上は、備中国代官某の伺書にして、之れを以つて一般に応用したりしが 如し。斯の如く、幕府の代官に対する法令中、民刑事に関するもの尠なき                さまよ を以つて、代官中、これが処置に徨ひ、其の処置を伺ひ出でしもの尠なか らず。 而して当所に於ける代官所は、東区の鈴木町(今の内久寺町)、及び谷町 の二箇所にありて、当所管地中の在所に於ける御料地を分管すること、以 上職制の如くにして、且、当所は諸船舶の会集、若くは寄航地にして、江 戸御城米として、諸国より航行する者の、難風その他につきて穿鑿する等 の事を帯び、其の他、敢て他に異なることなきを以つて、爰に記さず。


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