Я[大塩の乱 資料館]Я
2011.3.25

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大塩の乱関係論文集目次


『大阪府誌 警察史』

その15

大阪府 1903 より


◇禁転載◇

       乍恐御訴                  何国何郡何町村                   願 人   何之某                  何国何郡何町村                   相手方   何之某  右相手方之者へ、去ル何之何月、銀子何貫何百匁、預ケ渡候処、切月ニ  至リテモ、元利相滞候ニ付、度々催促仕候得共、埒明呉不申、難渋仕候  ニ付、何卒右相手之者、御召出之上、右銀返済致呉候様、被仰附候ハヽ、  広大之御慈悲、難有仕合奉存候、以上、     年号月日                   右願人                      何之某  前書之通、願出候ニ付、奥印仕候、以上、                  右何町村庄屋(又ハ年寄)                      何之某      堺御奉行様  債権者は、比の訴状を携へ、奉行所に出頭して、受付、即、目安方に差 出だし、目安方は追つて沙汰に及ぶとの一言を云ひ置き、之れを吟味方に 廻はし、吟味方は、取調期日(御用日といひ、毎月五、六回なり)に至り、 原告を召喚し、事実を取調べたる後、訴状受理と被告召喚とを兼ね、訴状 に裏書をなして与ふ、之れを後裏書と称す、其文、左の如し。  表面の通り、願人より訴出候に付、来る何月何日何之刻、相手方対決申  付候間、其町役人附添ひ、可罷出候、若し不参候に於ゐては、曲事たる  べき者也、       山城 印  此の時、原告は、此の裏書を得て、被告地の年寄、又は庄屋に渡し、年 寄又庄屋は、更に之れを被告に渡し、対決に際しては、被告の年寄又庄屋 は、被合に附添ひ、対審は概一回にして判決す。是れ貸借上に於ける訴訟 及び裁判の梗概なり。  当所の盗賊方の手先に使はるゝ垣下は、三十五人ありて、是等の下働に は、又、若千名の長吏と称するものあり。長吏は、救助せられたる乞食等 の、堺に接近せる悲田院、湊、十万、千日の四ケ所に置かれし者より出で、 四ケ所は、罪人の留置所に利用せられて、長吏は、其の番人となり、又、 常に犯罪者の捜索及び逮捕に従ひき。 刑場は、北端、即、の並松町南端より二十間と、北ノ西側、及び一里塚、 即、今の湊村を南へ離るゝこと四五十行の、小栗街道東側との二ケ所にし て、牢屋敷は、今の棄児愛育社所在地なる、車ノ町東三丁にありき。而し て当所に於ける裁判法、又刑の執行法の如きは、大阪と同一なるを以つて、 今爰に贅せず。  【堺町奉行一覧 略】


『大阪府誌 警察史』目次/その14/その16

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