Я[大塩の乱 資料館]Я
2011.3.27

玄関へ

大塩の乱関係論文集目次


『大阪府誌 警察史』

その17

大阪府 1903 より


◇禁転載◇

                じかた  又、市政の事務官を大別して、地方、寺社方、目安方、盗賊方の四とな し、刑事に関するを盗賊方といひ、金銭米穀の貸借上に於ける民事に関す るを目安方といひ、神社寺院に関するを寺社方といひ、其の他総ての行政 に関するを地方といふ。 而して与力同心の採用は、其の初は身分の正格なる者を精撰して、之れを 任用せしが、是等の任免を司る目附の、或ひは贔負により、或ひは金銭を 貪りて、資格なき者を採用し、延いて不慮の弊害を生ずることありしを以 つて、正徳年中、幕府より終に挙人式を示され、与力同心、若くは手代等 の採用に当りては、本人の履歴に、父の勤書附を添附し、若、父にして一 生勤なきに於いては、祖父の勤書を添附することゝなせり。 然るに幾干ならずし、自然に与力の如きは、純然たる世襲相続となり、同 心また、殆、世襲と異なることなく、前者は、禄高二百石、後者は、十石 三人扶持にして、共に西の宮等へ勤番するものは、別に一筒月、与力は十 人扶持、同心は三人扶持を給せられ、其の権威強く、殊に与力の如きは騎 馬の格式あるを以つて、往々自費を以つて、騎馬を飼ひし者ありて、其の 勢、また格別なりき。而して直接警察に関する事項を司り、市中を巡回し、 以つて盗賊放火の警戒をなせり。  斯の如く、与力同心は、主として警察事務を管掌したりと雖、その細事 及び探偵捕縛等に就きては、巧に穢多非人等を手先に使用し、江戸にては、 之れを岡引、また目明といひ、当地にては、之れと四箇所と称せり、即、 天満、天王寺、鳶田、千日の四箇所に居住したる乞食の類にして、各取締 一人を設け、其の他小頭五、六人、若キ者若干名あり、陰に陽に市内に出 没して、罪科を探り、以つて犯罪者を挙げき。


『大阪府誌 警察史』目次/その16/その18

大塩の乱関係論文集目次

玄関へ