Я[大塩の乱 資料館]Я
2011.3.28

玄関へ

大塩の乱関係論文集目次


『大阪府誌 警察史』

その18

大阪府 1903 より


◇禁転載◇

そもそも し か しょ                 ぎょう  抑、四箇所と称するものは、其の初、推古天皇の御宇、聖徳太子の仏教 振興、及び貧民救護を目的とし、難波の地に於いて、敬田院、療病院、施 薬院、悲田院の四院を建立せしに始まる者なれども、幾多時勢の変遷を経 て、終に悲田院一院となりて、専、非人乞食の巣窟となるに至り、而して 是等乞食の重立たるものは、此の探偵刑事に充てられて、世に猿とも、又 犬とも賤まれ、其の住家は千日悲田院の趾にして、板塀を以つて囲まれた る一廓、これを千日の塀の内と称し、南北に両門を設け、三十六戸の長家 ありて、此の内に棲み、後に至るまで、之れを四箇所と称せり。(此の界                        ねっとう 隈、維新後に至り、千日前溝の側西へ入る南側の最熱閙なる中心となりた り)。             ひんせき 是等刑事は、此の如く世に擯斥せられきと雖、また良く世の悪漢の所在、 若くは群居を知り、探訪上に至りては、実に欠くべからざる者なれども、 与力同心等の其の職務を執行するに際し、陰に十手と一刀を内許したりし                             たくま かば、其の職務を施すに当りて、往々弊害を生じ、啻に暴威を逞うするの みならず、或ひは悪漢より賄賂を取り、或ひは其の甚しきに至りては、悪 漢の依頼に仍りて、良民を害することなきにあらず、故に、市民は、是等 と口を交ふることをも避け、市民の是等を認むる時は、互に目指して、言             だかつ 語を断ち、大いに之れを蛇蝎視したりき。而して与力同心の如きは、反り て此等を使役せしを以つて、其の権威の強かりし事譬ふるに物なく、局外 者をして之れを観せしむれば、与力同心の手中、殆、生殺与奪の権を握り たるかの感あらしめき。 是に於いて、幕府は、時々、隠目付と称し、門先に立つ落語家、又行商人 と化して、奉行以下の役人の行為を密偵し、之れを老中に注進せしむるこ                           かつて とありき、猶、幕府は、四箇所の行為の暴悪なるを悪み、曾、一般に令し て言はく、罪人の捜索及び逮捕は、組附与力同心の自身に為すべきものな るにも拘はらず、近来、乞食の徒を手先に使ひ、為に、此の手先等の罪人           こ い を捕縛するに際し、虎威を振ひ、又諸悪人より種々の依頼を受け、終に他 に下引と称するものを使ひ、其数益々多く、市中を煩はすに至れり、爾来、       あらた 是等の弊害を革め、市内の取締一層厳粛なるべしと。然れども市中一般の 警戒に当り、当所の如き大都にありては、到底、所定の人員を以つて其の                       ひそ 周到を期し難きを以つて、当所町奉行の如きは、陰かに之れを黙許したり しが如し、即、文化六年七月、町奉行は、総年寄に令達して云はく、従来、 町廻り組の与力同心等は、怪しき風体の者を捜索、若くは捕縛するに際し、 其の人員の不足なるがため、止むことを得ず、種々の小人共を手先に使用 したりしが、近来、この手先の者ども、大いに心得違をなし、与力同心等       の立会をも俟たず、独断を以つて、彼等怪しき者の懐中物をするものあ るを聞く、斯くの如きは、万々有るべからざることなれば、爾来、此の手 先等にして、独断の所為あるときは、速に訴へ出で、又、直ちに之れを捕      つかえ 送するも差閊なしと。かく四箇所は、上下宮民より擯斥、又蛇蝎視せらる                むしろ と雖、敢て之れを介意するなく、寧、得々として彼等社会に誇称せしなり。


『大阪府誌 警察史』目次/その17/その19

大塩の乱関係論文集目次

玄関へ