Я[大塩の乱 資料館]Я
2011.3.29

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大塩の乱関係論文集目次


『大阪府誌 警察史』

その19

大阪府 1903 より


◇禁転載◇

 又、町々に於いては、一の小屋を設け、納屋下と称するものを置きて、 其の町の夜番、并に夜中横死を遂げしものを取片附けしめき。即、在所に 於ける宮ノ下、また宮番と称するものなり。彼等は一定の給料なく、其の 町にあるものは、各町家に就きて、毎秋冬に至り、米を集め、又、年末に     せ きぞろ 至り、節季候、大黒舞、鳥追と書したる板行を持ち廻はりて、金を集め、 以つて糊口を資け、又、其の在方はあるものは、盆正月節季、及ひ五節句 等に際し、各戸より種々の物品を貰ひ、其の他、一の内職をなし、以つて 活路を立てしが、平素貰物の多き家に於いては、出火等に際しては、殆、 身を犠牲に供して働くと雖、貰物の少なき家にありては、敢て之れを知ら ざるものゝ如くなりきといふ。 又、町々の商工業家にして夜番を要するものゝ如きも、常に出入する乞食 より正直なるものを撰び、小屋を建て、家族あるものは、共に之れに寝食 せしめ、以つて工場其の他の夜番、及び邸内の掃除をなさしめき。而して 彼等を使用するに当りては、幾分の金子を恵みて酒肴等を買はしめ、乞食 の重立たるものを振舞ひ、以つて其の仲間を脱せしむ。之れを足洗といふ。 故に乞食仲間の、門口に於いて、彼に顔を見合す事ありとも、決して言葉 を交ふる等のことなし。然るに彼にして、若、未、足洗をなさゞるときは、 相会する毎に口を交へ、幾日を経とも、仲間と心得るなり。 以上は皆納屋下の一種にして、町内の納屋下の如きは、四箇所の手先に追 使はるゝことあり。元来、四箇所等の補縛し来たる罪人は、其の町々に設 けられたる会所に於いて、罪科を詮議し、後、奉行所等に送致するものな るを以つて、此の際折檻の任に当るものは多く、此の納屋頭を用ひき。  其の他、同心の手先に追ひ使はるゝものに、木戸方あり、年番あり。木                      ざっとう 戸方は、道頓堀芝居茶屋の木戸方にして、常に雑閙の地、即、芝居茶屋等                        うろん にありて、観客の金銭の費消等に注目、その他、胡乱なる者等を見出だし、 同心の指揮を受けて、之れを捕縛す。又、年番と称するものは、長町宿屋、 俗に一夜泊りと称する安宿屋の群りたる処、即、専、盗賊その他、無職の ものゝ、安泊りをなす所に於いて、此の宿屋の中より、一年交替を以つて 之れに任じ、以つて胡乱者あるとき、同心に密告するものなり。 又、海上に於ける探偵には、勧進小舟、一名ピンショ舟の舟夫を利用せし が、蓋、是等は、遠方の船の入港するに際し、淫売婦を乗せて、碇繋場に 到るにより、よく彼等の秘密を捜索するに便なるを以つてなり。然りと雖、 これ亦、下役の者の利用に過ぎざりき。


幸田成友『大塩平八郎』 その24


『大阪府誌 警察史』目次/その18/その20

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