Я[大塩の乱 資料館]Я
2011.4.2

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大塩の乱関係論文集目次


『大阪府誌 警察史』

その23

大阪府 1903 より


◇禁転載◇

 元禄九年七月の達に云はく、江戸本郷にて、金銀吹直し場の設立あり、 若、他所に於いて吹直すものあるとき、及び隠匿者ありて、後日発覚した るときは、諸親類、並に所在の者に至るまで、重刑に処し、而して是等を 訴へ出でし者は、縦令同類なりとも、其の罪を許し、且、相当の褒美を与 ふと。 尋いで同十四年に至り、近年貨幣貯置の目的を以つて、高直に売買し、相 場を変動せしむるものあり。若、高直に買置をなす者を訴へ出でたる者は、 タトヘ同類たりとも、其の罪を免じ、褒美を下賜し、若、隠匿する者あり て、発覚するときは、当人は勿論、名主五人組に至る迄、曲事とすと。 又、 同十五年二月に至り、古金銀吹直に付き、古金銀を所持する者は、 相当の新貨幣と引換ふと雖、いまだ古金銀を密有するものあるを聞く。速 に引換へざるものは、相当の重刑に処すと。 後享保十一年九月、疵金軽目金通用の儀に付きては、滞りなく通用せしむ べき旨、予て告示せしにも拘はらず、幾歩の割引をなして、通用せしむる を聞く、向後、其の取締を厳にし、京大阪は勿論、諸国両替屋、及び武家 町方百姓に至るまで、洩なく此の意を守らしめ、尚違反者を認めしときは、 吟味の上、急度相当の罪科に処すと。 降りて宝暦十一年七月に至り、通用金銀を質物とすべからざるに、江戸京 大阪、其の他に於いて、文字金銀、並に古金銀を質物とする者あり。是等                    ちょうじ は、通用の差障となるを以つて、自今堅く停止すと。                                しゅずい  承応二年閏六月、秤の裁定を設けられ、全国六十六箇国は、総べて守随     じん 彦太郎、神善四郎二人の秤目を使用し、其の売買区域、東三十三箇国は守 随、西三十三箇国は神の専売となり、なほまた全国を通じて、旧来の秤目 の守随秤目と不同なるときは、守随、之れを没収し、同等なるときは之れ に刻印し、刻印賃一挺に付き壱分と定められき。夫れより明暦元年に至り、 いまだ古秤を濫用するものあるを以つて、更に触書を出だし、町中は借屋 棚借の下々に至る迄、之れを犯すものは曲事申付と。               みょうばん  宝暦十年十二月に至り、唐和明礬は、従来江戸大阪会処の外、京都堺に 於いて、一手に受負ひ、製法の上、売却すべきの処、近来内々にて諸国産 出の明礬を買入れ、商売するものあり、向後、諸国産出の明礬は、右定め 置きたる四箇所会社へ売渡し、猥に脇売すべからず。且、商人にして会社 の手を経ざる品あらば、更に悉皆、会処に売却すべし。若、心得違のもの あるときは、急度曲事申付くと。                         くうまい           か  翌十一年十二月に至り、大阪武家屋敷払米に関し、空米を書き加へ、過 まい 米の切手差出だすことを停止せられ、又、明和七年十二月に至り、予て空 米過米の切手の禁ぜられしに拘はらず、諸家蔵役人に至る迄、心得違をな して、尚、いまだ之れを改めず、延いて米渡方に差滞り、且、取引上惰弱 に流れ、商人の売買に際し、切手の価値を損じ、正米直段の差障をなすを 以つて、自今之れを犯す者は、曲事とすと。  寛文十二年三月三日、諸国商人の異国貨物を入札購売せんがため、長崎 へ下るもの、其の到着日限に不同あり。向後予て定め置きしが如く、七月 五日迄に、遅参なく到着し、奉行所帳簿に記入すべし。妄に手代のみを遣 すべからず、而して諸商人の異国貨物を購人するに当り、其の価格次第に 高直に傾き、延いて売価また高価なるを以つて、向後、京都、大阪、長崎 等の時価に比して購入すべし。若、是等の法度を違反せしものは、長崎人 は十里四方へ追放、他国人は長崎の商売を停止し、若くは、厳科に処す。 此の旨、京都、大阪、堺町中へ厳達すべしと、蓋、当時に於ける外国貿易 は、長崎の一港に限られたるを以つて、其の條令法度の如き、或ひは幕府                      か た より、或ひは町奉行より下りしもの、其の数夥多なりと雖、大阪の如きに 至りては、一般町民の直接に関係することなく、只堺に於ける糸割符の特 典を得し以来、一の団体に関係ありしに過ぎす。


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