Я[大塩の乱 資料館]Я
2011.4.8

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大塩の乱関係論文集目次


『大阪府誌 警察史』

その28

大阪府 1903 より


◇禁転載◇

 後、元禄年中に至り、大阪両替商にして、幕府の貨幣改鋳により、其質 古小判は劣れるを以つて、竊かに古小判を売買し、不実の商売をなすもの あるや、事、幕府の聞く所となり、同九年八月十二日、幕府より、是等不 当の値を以つて売買することを禁じ、之れを三郷町中に触れしめられき。 又、金銀の貸借、及び売掛代金滞等に関しては、従来奉行所の裁許を仰ぎ 来たりしが、自然、緩漫に流れ、同一事件にても、再三その手を煩はす者 ありしを以つて、幕府は、延享三年三月、町奉行所へ達して言はく、元来、 借金銀売掛等は、人々相対の事にして、予ねて其の裁判を一箇年に両度と なしゝが、向後、三年以前に於けるもの迄は、従前の通り、奉行所より毎 年両度の裁許を与へ、其の以上に跨るものは、相対を以つて済まさしむべ し。若、是れに仍り、奉行所より召喚せられし者にして、不参し、又、返 済方を申付けられし者にして、之れを実行せざる如き不都合の者は、武士 方は、奉行所より老中へ申達し、寺社及び町方は、奉行所にて急度処分す べしと。  後、享保八年、紛失物吟味仕方に就き、町中に触れられし要旨に仍り、 大阪町中質屋、古着屋は、拾人宛組合を設け、若、その町にて定員に充た                       がちぎょうじ ざるときは、隣町と通じ、毎組に交代を以つて、月行事一人宛を定め、紛 失物を捜索するに当りては、触書に仍りて、其の町の月行事、及び関係あ るものは、其名主と共に、組合各戸の帳面を吟味し、紛失物を認めざると きは、両月行事の印形を捺し、更に名主の方へ各帳面を集めて精密に之れ を吟味し、若、また此の中より、之れを発見せしときは、速に奉行所に申 出づ。而して其の組合中にして之れを拒むものあるときは、直ちに奉行所 に召連れ、又、月行事共の吟味粗漏なるときは、名主と共に処刑せらる。 又、質屋、古着屋の帳面は、名主其の紙数を改め、勿論、名主は各月の帳 面を永く留め置きて、商売の妨害をなすことなからしむ。又、素人にして、 武家等出入先より質物を取ることある時は、直ちに名主へ届け置き、其の 他、道具類、古金類を商ふもの、及び宿屋等も亦同法を設け、紛はしき者 の質取買取等をなさしめず。勿論、無鑑札にて是等の商買をなす者ある時 は、仲間の者より、之れを奉行所へ訴へ、若、以上の犯蹟明らかならば、 重刑に処分せらるゝ定なりき。  降りて安永五年十二月二十五日、幕府は外国貿易品に附きて達するに、          い り こ  あわび ふか 当時の貿易品中、煎海鼠、鮑、鱶の三品は、多少に拘はらず備後町五丁目        たわらもの に設けられたる俵物会所、並に七郎右衛門町一丁日の箱屋伝兵衛、両所よ り買入るべく、又、諸国より廻着したる者は、右両所へのみ売渡し、決し て其の他と売買し、又、市中に於いて販売等をなすことを得ざるは、既に 明和二年六月の触書を以つてしたる所なれども、近来市中の食用店に於い て、販売をなす者ありて、不都合尠からず。殊に煎海鼠の如きは、外国貿 易品中、彼れの嗜好品にして、其の需用多く、故に長崎港よりも、輸出高 を増加せしめられんことを申請し来たりたれば、向後、これが発達を期せ んがため、右不都合の者あらば、厳科に処すぺしと。


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