Я[大塩の乱 資料館]Я
2011.4.9

玄関へ

大塩の乱関係論文集目次


『大阪府誌 警察史』

その29

大阪府 1903 より


◇禁転載◇

 後天明八年七月、町奉行松平石見守貴弘、及び小田切土佐守直年は、老 中松中越中守登阪の時の口達を承け、三郷総年寄へ令して曰はく、予ねて 米直段の高低を取締りしが、商売人は自然これを等閑に附し、動もすれば 見込買をなして、不正の利を貪らんとする者あり。元来、見込買等は商人 の常にして深く咎むべきものに非すと雖、天明三年以来、諸所の山焼、ま た奥羽等の凶年、且出水にし、世間一体に逼迫し、米価も亦古今未曾有の 騰貴を来たし、人民都べて惨状を極め、漸にして昨年は可也の豊作なりし が、此れを以つて連年の困苦を挽回すること能はず。仍りて今両三年間は、 都べての物価の昂騰せざる様、専、世上の融通を図ることに勉め、決して、 思惑買、又は酒造米として多額の米を買込むべからず。たとへ蔵米、納屋 米たりとも、同様に付き、若、心得違あるときは、厳科に処せらるべく、 右洩なく三郷町民へ知らしむべしと、是れ安永元年、江戸の大水を初とし                  つなみ て、同三年には、京に大風、大阪に海嘯あり、翌四年には、また京に洪水           えきれい あり、翌五年には諸国疫癘の流行あり、又翌六年には東国に洪水あり、七 年には京に大洪水あり、後二年を経て、天明元年には、畿内に大風害あり、 翌二年には江戸に大地震等ありて、天下悲惨絶ゆるなかりしに、令達にい へるが如く、天明三年には、信州浅間山噴火して、東国に砂を降らし、翌 年に亘る大饑饉となり、以後天変地異相続ぎて、天明七年の如き、実に非 常の米穀高価なりしを以つてなり。  越えて、翌寛政元年三月、町奉行松平石見守、及び小田切土佐守は、町 民の都べて花美の風に赴きたるを停止せり。蓋、大阪のみならず、当時は            あまね 華美豪奢の風、全国に普く、連年凶慊の後を承けたりといへども、泰平の 結果は、次第に此の風を馴致せしめ、殊に其の最甚しかりし時なりしを以 つて、之れを戒められたるもの一二にして止まらざりき。此の時、令して 曰はく、町民の風儀大いに華美に流れ、日用品迄も高値となりて、困窮す る者尠からず。武家に於いては、質素を守り、身づから戒め居れども、町 民はいまだ心附かずして、其の極度を知らず、自今、町人男女、分限相応 にして、決して、衣類、又、髪の飾品等、華美を用ふべからず、組附の与 力同心等、見廻はりて、是等の犯罪者を見出だしたるときは、其の名前居 所等を糺し、直ちに奉行所に召し連れて、厳科に処すべしと。 以上は、江戸より達せられし趣旨を、奉行の敷衍したるものにして、更に 左の箇條を示し、借屋の者迄にも、洩なく触書を以つて知らしめき。    奢たる品拵、並売買停止       覚  一 不益に手間掛候高直之菓子類、無用可致候、是迄拵来候共、相止可   申事。  一 火事羽織、頭巾、結構之品、可致無用、並町方火事場まとひ、錫箔   之外、用申間敷事。  一 能装束、結構成も相見候間、向後、軽く可致候、並女之着類も、大   造之織物、無用に可致事。  一 破魔弓、菖蒲、甲刀、羽子板之類、金銀金物、並箔用ひ申間敷事。  一 雛、並もて遊び人形之類は、八寸以上、可為無用候、右以下之分は、    そまつ   麁末の金入どんす類装束は不苦事。  一 雛道具、梨子地は勿論、蒔絵に候得者、紋所之外無用之事。  一 櫛、かふかひ、髭さし等、金は決而不相成候、銀べつかふは、大造   無之者不苦候、並目立候かさり細工入組、高直之品々、売買堅停止之   事。  一 きせる其外、もてあそび同前之品々、金銀遣ひ申間敷候、蒔絵等結   構に致間敷事。


『大阪府誌 警察史』目次/その28/その30

大塩の乱関係論文集目次

玄関へ