Я[大塩の乱 資料館]Я
2011.4.10

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大塩の乱関係論文集目次


『大阪府誌 警察史』

その30

大阪府 1903 より


◇禁転載◇

 尋いで同五月に至り、町人男女、傾城町、芝居役者の衣類、並に茶屋、 風呂屋召抱女の風儀を制して言はく、町人男女の風儀取締は、本年三月、 既に触れ置きしが、傾城其の他、芝居役者の衣類は、絹、紬、木綿にして、 何地にても紺屋染たるべく、又、芝居舞台に於ける装束は、平絹、羽二重 絹、紬も亦紺屋染とし、都べて人形の装束に至るまで、花美を用ふべから さることは、寛文八年五月以降、屡、告示せしが、近頃等閑に打過ぎたれ ば、今後之れを厳守し、役者共も、芝居外に於いては、素人同様の服装を 用ふべし。 又、茶屋、風呂屋等の召抱女の員数は、茶屋女は二人、髭洗女は二三人に 定め置かれしに、近来多人数を抱へ、売女同様の商売をなす者多く、且、 御城近辺にて、所柄をも憚からざる者あるやに聞けり。向後、急度吟味を 遂げ、厳科に処すべきを以つて、三郷洩なく相触るベしと。 両々相対して、以つて時勢の一斑を知るべし。  同年翌六月、更に町奉行より博奕其の他の賄勝負事を制せり。即、諸勝 負事は従来厳禁せられしが、近頃に至り、種々名目を変じて、武士屋敷、 寺社、茶屋、並に辻等にて、是等不埒の所為をなす者あり。向後は吟味の うへ、一層厳重にし、掛り合の先々迄をも、用捨なく処分すべし。又、他 の犯人を訴へ出でし者は、同類の者たりとも、自分の旧悪を改めし者は、 御褒美を賜ふ。町方は辻々に、在方は高札場、又は村役人の宅前等に其の 趣を掲置し、町村役人、五人組共、その組合限に申合はせ、武家また寺社 にても家来、並に末々の部屋に至るまで、之れを改めしむべしと。  同十二月に至り、二たび服装等に関し、達して云はく、女の着類は、小 紬表代銀三百目、染模様目五十目を限り、以上高直の物は、売買を禁ず。   こうがい かんざし 櫛、笄、簪の類は、金は勿論、銀、鼈甲等にても、細工入組にして高直の 品を用ふべからす、櫛代銀は、百目を限り、笄、簪も、亦之れに準じて、 下直の物を用ひ、其の他、破魔弓、羽子板も金銀箔を用ふるを得ず、雛、 もてあそび人形は、丈八寸を限り、梨子地、蒔絵等ある者の売買を禁ず。 若、犯す者ある時は、現品没収のうへ、厳科に処せらるべしと。            ごうやど  又同月を以つて、大阪郷宿株九人の者へ、達して云はく、明和九年、本 株を許され、年々冥加銀を上納して、村方の百姓共を宿らせ来たりしに、 村方の者は、宿賃、飯料等高く、且、不自由にても已ひを得ず、此れに宿 り、困難せしを以つて、以来右九人の宿株を差止め、素人宿に宿泊すとも 差支なし。故に宿泊せしむる素人宿の者は、其の時々届け出づべしと。


『大阪府誌 警察史』目次/その29/その31

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