Я[大塩の乱 資料館]Я
2011.5.2

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大塩の乱関係論文集目次


『大阪府誌 警察史』

その48

大阪府 1903 より


◇禁転載◇

朱を密売せし者の仕置。  寛政八年、大阪上難波町、大和屋伝兵衛といへる者、座外にて朱を売買 し、為に売残りの朱は、没収せられ、過料銭五百文を科せられき。  元来、朱は其の価高直にして、金銀銅と匹敵するものなれば、幕府も此 の濫用を防がんがため、金銀銅座と同じく、朱座と称する一手販売所を設 けて、脇売を禁ぜり。然るに伝兵衛は、山形屋左七といへる者に、亡父六 左衛門の時代より持伝へたる琉球朱十三斤半を、一斤三十八匁替にて買ひ 呉れとの噺を受け、朱座にて買入れんよりは、大いに下直なるを以つて、 何心なくこれを五百十三匁にて買ひ入れき。当時の町奉行も、其の旨を了 し、当人は、只出元を知らざる迄にて、予て出所不正の朱を売買すべから                     さき ずとの触書を忘却したるものなるを以つて、曩に安永九年、南久太郎町三 丁目、黒江屋平四郎の座外の朱を売懸けたるとき、其の触書を忘却せしと の廉を以つて、過料銭三貫文に処せられしに準じ、科書の内、出所不正の 朱なる文言を除き、残朱取上、過料銭五貫文に処したるものなり。 主人の娘と相対死せし者の仕置。                うはら  寛政二年十二月十八日、摂州莵原郡五毛村地内にて、同郡大石村、武太 夫娘はん、疵受死亡し、其の下人久米蔵、亦該所に自害し、いまだ絶命せ      ごんぜつ ざりしが、言舌不明に仍り、五毛村へ預けられ、発生中落命せり。是れに 仍りて、該家に付きて調べしに、同夜五ツ時頃、一同就寝.同八ツ時頃、 主人小用に起きしとき、娘はん、寝間に在らず、又、下人久米蔵も見えず、 因りて早速捜索せしに、以上の始末なりし事分明し、且、当時の大阪町奉 行小田切土佐守の指図に仍り、同家に就きて、其の原因を糺せば、情死に 外ならざるを以つて、下人の身として不義をなし、殊に情死を図りしは、 不届に付き、塩詰にして、村方に磔せられ、はんの死骸は取捨られき。       じゅうねん 俗人にして、十念口伝を伝授し、礼物を取りし者の仕置。  寛延四年三月、大阪北久太郎町五丁目、大和屋宇右衛門は、俗人の身分 として、十念口伝を人へ伝授し、礼物を取りたるを以つて、其の仏具仏壇 を没収せられ、軽追放とすべきかと、大阪町奉行より幕府へ伺ひしに、重 追放の指令を以つて処刑せられき。


『大阪府誌 警察史』目次/その47/その49

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