大阪府 1903 より
庄屋を殺害したる者の仕置。 まった 明和九年、松平右京太夫領分、河内国茨田郡岸和田村、即、今の北河内 郡四宮村、百姓源兵衛といへるもの、其の姉聟なる当村の庄屋弥兵衛に対 し、些少の意恨を含みて、敲殺せり。然るに、姉聟又庄屋を殺害せし者に 適用すべき法のなきを以つて、姉聟は之を通例とし、庄屋は之れを名主の 法に準じ、幕府に伺ひて、大阪町中引廻のうへ、居村に於いて、獄門に刑 せられき。 人を焚殺しゝ者の仕置。 文化四年、無宿徳松外三人、並に熊次郎といへる者、所ゝの飼犬を盗み、 皮を剥ぎて売り払ふを職とし、一日、幸町五丁目にて飼犬を盗みしを見咎 められ、之れを遺恨に思ひ、持合せの棒、又、有合の割木を以つて打擲し、 且、焚火の中に打込み、銘々にて両手両足を押へ、終に焼殺せしを以つて、 時の町奉行は、一統を大阪三郷町中引廻のうへ、獄門に処し、熊次郎のみ は、当年十五才の幼年なるにより、遠島とせり。 元来掟書に依れば、自己の悪事の露顕を蔽はんが為、その人を殺害したる 者は、獄門なれども、徳松等の如きは、其の非行の甚しき者なるを以つて、 先例に傚ひ、一等を加へて、本刑に附せられしものなり。 牢抜けせし者、及び関係役人の仕置。 安永九年、大阪無宿長柄の十右衛門といへるもの、遠島にて、航海中、 船中にて囲を抜け、入牢中、小刀を以つて牢内仕切の板を切明け、又、在 あしかせ 牢中の女と密会し、且、これを害殺したるを以つて、手鎖足械を入れられ、 役人播州西成郡役人村、住吉屋伊兵衛に訓合ひて、脱牢し、且、順慶町に 於いて、商品を盗取りたるを以つて、大阪三郷町中引廻のうへ、獄門に附 せられ、伊兵衛は、十右衛門に在牢の女と密会せしめしのみならず、徳用 を取りて、十右衛門の手鎖を外し、牢屋表門へ連出だしゝ等の悪事あるを 以つて、死罪に処せられき。 以上に於いて刑に関する概略を記せり。