大阪府 1903 より
第六節 牢屋敷並に刑場 牢屋敷。牢屋敷は、両奉行附の同心一人つゝ、之れが取締をなし、其の下 に詰合方と称して、年若同心二人づゝあり、其の他、番ノ者と称して、本 屋敷を警衛するものあり。此の番ノ者は、橋々に設けられし床髪結弐百拾 名を以つて、之れに充て、毎日、申刻より翌申刻まで、昼夜共に弐拾壱名 づゝ、交替を以つて命ぜられ、内壱名は、組頭といひ、総べて番ノ者の指 揮をなすものにして、是等の毎日交替に際しては、番人詰処に於いて、組 頭をして懐中物を改めしめ、鉄物刃物の類は、一切これを持たしめざりき。 蓋、牢舎の者に接するを以つて、其の危険を防がんが為ならん。又、番ノ 者は、牢舎の者の、奉行所へ引出ださるゝに際し、棒突縄取等の用を帯ぶ。 そもそも 抑、牢番の初は、下人を以つて之れに充て、囚人一人に牢番一人を以つて したりしが、囚人の漸次多数となるに随ひ、大いに混雑して、其の警護、 却りて不備となりしを以つて、元和年中、伏見に於いて、其の以前より髪 結を充てしに傚ひ、町奉行島田越前守の在勤中、町々の橋に設けられし床 髪結を取調べ、百四十人を呼出して、之れを命じ、後増加して百六十人と し、一人一日に付き米一升宛を給与せり。後、延享元年に至り、三郷中へ、 近在村々の床髪結を配下に命ぜられ、十人の組頭を抜擢し、之れを取締ら しめき。後、漸次髪結床の繁昌するに随ひ、其の御礼として、無報酬にて 勤めんことを出願せしを以つて、之れを許容せられ、昼夜四十二人づゝ、 交替を以つて勤番することゝなり、降りて寛政二年に至りて、其の人員及 び骨折料を改められきと云ふ。 斯の如くにして成れる番ノ者は、昼夜牢番所表門牢屋敷内等の警戒をなし、 又科人の取扱ヒ、牢扶持、焚出し、并に牢内へ持ち運び等を掌り、骨折料 として一箇年銀二十五枚を給せられ、且、冥加金上納の義務を免ぜられき。 蓋、彼等は常に直接数多の人に接近するを以つて、罪人の捜索等には、大 いに利なるものあるに因るならん。而して此等番ノ者は、みな入牢者を警 護し、又、敲キ等の刑を施行するに当りては使与力、牢扶持方、鍵番の 東西同心、并に取締方、詰合方立会の上、柵門内表門前に於いて、番ノ者 をして、之れを敲かしむ。 又、三商方と称する者あり、三郷の質屋、古手屋、古道具屋より、各一名 づゝを撰抜して、牢屋敷に詰めしめ、専、臓物捜索の任に当て、市内に於 いて被盗品あるに際しては、直ちに之れに探穿を命じ、三商方は、各質屋、 古道具屋の各質店に就きて、残る隈なく之れを捜索し、之れを発見せしと きは、牢屋敷中に設けらたる臓物蔵に収容す。元来、商人は、総べて冥加 金と称するものを、上納するの義務あるものなれども、是等の三商は、臓 物捜索の責あるを以つて冥加金上納の義務は、之れを免ぜられき。