Я[大塩の乱 資料館]Я
2011.5.8

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大塩の乱関係論文集目次


『大阪府誌 警察史』

その54

大阪府 1903 より


◇禁転載◇

 新たに入牢者あるときは、当番の同心宰領は、町奉行の証文を以つて牢 屋敷に送り、番ノ者に命じて、其の衣類、上帯、下帯、及び髪の結目等に 至る迄、解放し、改めて入牢せしむ。入牢者は、入牢中は、着用の上帯、 下帯とも取上げられ、出牢に際し、之れを受く。 而して入牢中は、毎日都べて二食にして、男子攻五合、女子、小供は弐合 五夕、一回毎に盛箱に詰め、副食物は、男女共一人前の、味噌は十二匁、 汁実共に一銭(現今の相場に換算して)、香の物二切なり。 又、毎年三月二十日より八月二十日迄、一箇月に八日と二十日との二回、 牢者人に行水をなさしむるを常とし、且、六月朔日より八月迄、毎月朔日 と十六日との二回増行水をなさしめしが、弘化四年以来、五月、六月、七 月の三箇月は、一箇月六回の行水となし、鍵番の東西同心、及び取締方、 詰合方立会のうへ.竹垣の内にて、之れをなさしめき。 又、毎年盆前に至りては、以上の立会のうへ、竹垣の内に於いて番ノ番を して、牢舎の者の髪月代を剃らしめ、又、毎月三回、牢舎人一同を鞘へ引 出だして、牢内の大掃除をなしき。 又、着物は、無宿の者は、浅黄木綿の無地にして、冬期に至りて、古手綿 入を給せられしことあれども、又、夏服の儘なるもあり、是等は、又、城 代の意嚮に仍りて、一定せざりき。 又、近火に際して、牢舎人は、十分の手当をなし、鍵番同心、并に牢守差 添へ、風上へ立退かしめしが、急火に際しては、如何ともすること能はざ るを以つて、牢守は之れを奉行に伺ひ、重科人は、厳重なる警戒をなし、 其の他の軽き科人は、臨機応変の処置をなすことゝなせり。  取締方及び詰合方の牢内見廻に際し、病人ありて服薬を願出づる者あら ば、見分のうへ、掛リ与力中ヘ上申して服薬せしめ、平癒せぱ、亦、与力 中へ復申す。若、病人にして医の診察を要するものは、取締方詰合方ば無 刀にて牢内に至り、診察を受けしめ、重病の者は、医師の容体書を取りて、 掛リ与力へ進達す。  夜中の見廻は、毎夜暮六ヅ時(午後六時)より明六ツ時(午前六時)迄、 都合七回にして、若、牢死者ありしときは、掛リ与力中へ上申し、当番同 心及び東西取締方立会のうへ、之れが死をなす。


『大阪府誌 警察史』目次/その53/その55

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