Я[大塩の乱 資料館]Я
2011.5.12

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大塩の乱関係論文集目次


『大阪府誌 警察史』

その58

大阪府 1903 より


◇禁転載◇

 是れより先、慶応四年四月十二日、大阪裁判所は、旧幕府堺奉行所址に、 堺役所を設けて、同所に附隷し、大阪裁判所判事小河一敏、及び属官を派 駐して、旧幕の所領和泉国を管せしめ、尋いで同年六月、徒刑の制、訴訟 の制限を設く、即、徒刑の制は、徒刑人は、日々土砂木石等を運搬し、溝 川の浚疎、道路の修理に服役し、食料は、一日一人に米五合、使役貸金二 百文を給し、其の一半は、官に領置し、其の一半は囚人被免の時、これを 下賜す。而して其の服役時間は、午前十時より午後五時迄にして、其の勤 惰によりて、多少時間を紳縮し、又、服役時間外に於いて、各自の製造す る草鞋等の賃金は、其の者の所有と定め、徒刑人にして逃亡せし者は、死 刑は処せらるべきの規定なり。 訴訟上の制限は、堺役所より大阪府、及び兵庫県に関するものは、堺役所 にて之れを裁判し、又、他支配地の者の管内に於いて、変死其の他、使 等を要する事あるときは、他支配地へ照会し、之れを取扱ふべきこと等な りき。 同月廿九日に至り、大阪府の附隷を解き、堺県を新設して、和泉国一円を     おごうかずとし 統轄し、小河一敏、又大阪府判事を免ぜられて、堺県知事となれり。 尋いで十月、巡邏を置き、警保の事務を掌らしめ、初めて下太夫今井彦次 郎を以つて、賊難その他の取締となし、同人家来は、所定の職制及び諸達 等に仍りて、昼夜巡邏の任に当らしめ、又、旧幕府堺奉行の附属与力同心 を編みて、県兵を制し、之れをして巡邏の職を兼ねしめ、内六名を以つて、 夜巡邏と称し、徹夜市街の警戒に当て、専、兇徒の逮捕を担任せしめき。 同九月に至り、県兵の制を廃し、巡邏の職を解き、夜巡邏六名を存し、市              きくごく 内の南北に二屯所を設け、各鞠獄掛一人を置き、昼は、庁中にありて事務 を執り、夜は、二人の巡邏と共に之れに屯在せしめき。   (明治) 越えて同四年三月に至り、巡邏を廃し、更に十五人の捕亡掛と称するもの を設け、旧県兵中の五人を抜擢し、併せて二十人となし、堺に三箇所、及 び南郡貝塚村に一箇所の屯所を設け、専、探偵捕亡の任に充てしが、其の 方法宜しきを得ざるを以つて、僅にして復これを廃し、同十月、更に聴訟 課中に、捕亡専任の職を置き、之れに邏卒、番人を附せり。即、邏卒総長 一名、同什長四名、同伍長六名、邏卒三十五名にして、市内の屯所二箇所、 及び出張所四箇所(和泉国南郡岸和田、河内国若江郡八尾村、茨田郡牧方                                 おう 村、及び守口町)に配置し、以つて爰に初めて行政、司法の警察事務に鞅 しょう 掌せしめき。 其の職制は、兇奸不良の徒、火付盗賊、人殺等の如き、人民の妨害をなす ものを未発に防ぐを旨とし、又、徒党、陰謀、潜伏等の形勢を見聞したる ときは、総長に報告し、事情止むを得ざるものは、其の指揮を俟ちて捕縛 し、乱暴狼籍のものあらば、取押ふ等、其の他総べて捕縛せしものは、庁          ていそう 内に設くる裁判官に遞送し、又、妄に金銀米穀の訴訟等に関する聴訟課の 職権を受理すべからず等なりき。


『大阪府誌 警察史』目次/その57/その59

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