Я[大塩の乱 資料館]Я
2011.3.16

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大塩の乱関係論文集目次


『大阪府誌 警察史』

その6

大阪府 1903 より


◇禁転載◇

 尋いで足利氏の世となりては、総べて鎌倉の制度に做ひ、侍所の長官た る別当を廃したるのみにして、所司を以つて之れに充てき。此の所司は赤 松、一色、山名、京極等の諸家、交代を以つて任ぜしが、是等はみな国主 なるが故に、各その家老をして之れに充てき。是れ即所司代なり。(所司 代の名、後に至りては、代理者にあらずして、主任者の名目となれり)、 当時、取扱ひたる罪名ば、謀叛人、強竊盗、夜打、山賊、海賊、殺害人、 刀傷、放火人、打擲、追落、刈田、刈畠、路次狼藉、路次捕女、其の他数                             もんちゅうじょ 種にして、是等刑事的裁判は、侍所に於いてし、民事的裁判は問注所に於 いてし、罪名定まりてのち、侍所に送り、また禁囚拷問等に至るまで、此 処に之れを施行したりき。 以上は是れ足利の世の警察の概況にして、鎌倉時代より応仁時代の前まで           ち  じょう  と   る   し は、刑を施行するに笞、杖、徒、流、死の五刑なりしが、応仁の戦国時代 より、更に磔、火焚、鋸引等の苛刑を用ひ、延いて徳川の世に至る迄、之 れを行ひき。  応仁以後、戦国の世となりては、謂はゆる割拠の世にして、各大名の家々 に仕へる家老用人等の名称の下に、目附、横目附等の監察役を設け、而し て目附は、侍所に賊する探偵方にして、軍陣中に於ける軍士の勤怠非違を 察し、賞罰の当杏を定め、又、敵国の消息を窺ふ職たりき。


『大阪府誌 警察史』目次/その5/その7

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