Я[大塩の乱 資料館]Я
2011.3.17

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大塩の乱関係論文集目次


『大阪府誌 警察史』

その7

大阪府 1903 より


◇禁転載◇

 降りて徳川の世となりては、鎌倉、室町時代に於ける政府役人の名称は 全然変更せられ、新たに執政参政と設け、之れを老中、若年寄と唱ヘ、而 して別に孝徳天皇時代の弾正台とも云ふべき目附役あり、是れ実に老中の 耳目たるものにして、一万石以上の大名を監察し、総の規則を督し、訴訟 きょうくつ ちょうたつ の抂屈を暢達し、専、老中以下の所為に関係し、又、若年寄の耳目たるも のは目附にして、一万石以下旗本等を監察し、規式を監し、又布令に関し、 評定所に列し、火事場へ出張し、又、遠国御用、御成先御用等、種々の職              おかち       お こびと 掌を帯び、此の目附の下に御徒目附、御小人目附等ありて、主として御家 人、及び与力、同心等の小吏までを監察したりき。 斯く目附に種々の等級を設けしは、即其の被監察人の身分に依りて区別せ しものにして、而して大目附は威勢凛々として立派なる供を従へしが、徒 目附、小人目附に至りては、単独に巡察するものなりき。        けいら 其の他、市中の警邏には、町奉行の下に属する与力同心の中に廻方ありて、 盗賊其の他と取締り、また火附盗賊改等の役ありて、亦市中一般を巡行せ り。是れ謂ばゆる火役なり、 又、各大名に郡奉行及び代官あり、之れが監察には、皆幕府の町奉行より 探偵(即、俗に云ふ手先キ)、又ヲカツピキなる者を以つてしたりき。而 して当時に於ける警察は、其の規律、以前に比較し、整頓したりきと雖、 市中に喧嘩口論、若くは其の他騙リ等の者ありても、廻方の巡行に際会ぜ              たくまし ざるときは、彼等悪漢の意を逞うするに任せざるを得ざる等のこと多かり き、此の故に、往々にして此の悪漠を召連れ、奉行所に訴ふることありし が、当時、いまだ戸籍法の完全せざりしを以つて、彼等一且遁げ際れ等を なすときは、二たび之れを逮捕すること、甚、困難なりき。又、町々に於 いては、自身番等の設ありしが、是等はみな家主、即、今の差配人なる町 人を以つて、之れが任に当てしものなるが、故に漸にして、怪我人、また 棄子等のありし時、及び廻方の盗賊と召取来たりしに際し、之れを吟味す るに止まりき。 斯く警察権の周到ならざるを以つて、いまだ枕と高うすること能はざりし に、漸次、徳川の末葉となりては、昔の検非違使、亦衛府の官人の、王政 の弛むに随ひて、不正の行為となしヽと同じく、其の小吏又ヲカツピキ等       ただ に至りては、啻に虎威を逞うして、人民を困しむるのみならず、罪人より                   すくな 賄賂を得て、其の罪を見遁す等のこと亦尠なからざりき。 以上、鎌倉足利時代より徳川の末葉に至る警察制度は、其の第三期にして、 やや 稍、軍務と警察事務との区分を立て、且その整頓を見るに至りしが、詳に 観察すれば、たゞ司法警察の整頓に務め、行政警察の不整頓、即、両者の 権衡を失せし憾ありき。  以上は、上古より徳川の末年に至るまでの、警察制度の概略にして、更 に進みて、大阪の制度を説くに当りては、其の起点は、実に徳川幕政の初 に在り。葢、応古難波の浦と称せられし時代は姑らく措き、真に我が大阪 をして今日あるを致さしめたるものは、石山時代以後、諸般施政の宜しき を得たるに在りて存し、其の以前一般の沿革として、他に種々の源因を有 すれども、今、此の制度と説くに当りてば、徴すべき特別の書なく、且、 特に見るべきものあらざるべきを以つてなり。而して施政の方針は、第一、 城内に城代を置き、之れをして市政を総攬せしめ、町奉行、総年寄を置き て、各其の局面に当らしめき。故に城代、奉行、年寄は、其の殊に主たる 機開にして、他は概これに隷属せるものなると以つて、以下、各章を設け て、其の概略を記せんとす。


『大阪府誌 警察史』目次/その6/その8

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