Я[大塩の乱 資料館]Я
2011.5.30

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大塩の乱関係論文集目次


『大阪府誌 警察史』

その76

大阪府 1903 より


◇禁転載◇

  第四節 古今刑の比較  鎌倉時代より足利の応仁以前迄は、其の処刑は、罪の軽重に随ひ、死流 徒杖笞の五刑を執行し来たりしが、応永の乱後、戦国の世となりて以来、 徳川の末年に至る迄、鋸挽、火焚、磔、獄門、引廻し等の苛刑を施行し、            あらた 明治維新後、警察制度の革まりてよりは、是等の苛刑を厳禁して、其の最 重きを絞罪とせり。今古今の刑を説くに当り、相当らざるもの多しと雖、 之れを比較すれば、概、左の如し。但、古は大宝令以降、今は現行刑法を 云ふ。  刑名比較
  古        今
死 軒絞絞罪
有期
無期
有期
無期
徒刑

流刑




懲役

禁獄


禁錮
 もと軒罪と紋罪とは、共に死罪にして、只其の異なるものは、首身、其 の所を異にすると、然らざるとに在るのみ、然れども絞罪は、秋期を待ち て、之れを執行したれば、其の間、大赦等に遭遇し、往々其の死罪を免るゝ ことあり。随ひて軒罪に此して、其の罪軽かりき。  古の流罪は、今の徒刑、流刑にして、国事犯には流刑と云ひ、定役に服 せず。常事犯には徒刑といひ、定役に服す。徒刑の婦女は、島地に発遣せ ず、内地の懲役場にて、定役に服す。共に北海道に送られ、有期流刑は三 箇年、無期流刑は五箇年間を経過すれば、其の幽閉を許して、居住せしめ、 又、古の徒刑は、今の懲役にして、国事犯には重軽禁獄ありて、定役に服 せず、常事犯には重軽懲役ありて、定役に服し、共に内地に於いてす。  古の笞罪、杖罪は、皆、敲き放ちの刑にして、杖は笞より其の刑重く、                          むちう 六十より一百に至り、笞は十より五十に至り、且、其の鞭つ所を異にせり。 然るに今は敲きを止め、代ふるに、重軽禁錮を以つてせり。即、重禁錮は 禁錮場に留置して、定役に服し、軽禁錮は留置のみにして、定役に服せず。 蓋、古の筈杖罪は、元来、之れを懲らすの趣意なりしが、人の身体を傷け、 若くは、之れが為に、死に至らしむるが如き事あらんを慮りて、今は之れ を廃して、禁錮となしたるものなり。又、古の徒刑は、其の期間の最長き ものにして、三年なりしが、今の懲役の最長きは、有刑徒刑十五年、又、 重禁刑は五年にして、孰れも其の期間、古より長し。


『大阪府誌 警察史』目次/その75/その77

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