Я[大塩の乱 資料館]Я
2011.6.1

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大塩の乱関係論文集目次


『大阪府誌 警察史』

その78

大阪府 1903 より


◇禁転載◇

 新律綱領に於いて、官吏、自己保管する物品を盗みし者は、二百両以上 のものは、絞罪なりしが、今は軽懲役となれり。  竊盗は、大宝令に於いては、布五十端を盗む者は、加役流を以つて極度                             いれずみ とし、徳川に至り、睡眠、又は失火に乗じ、財を盗みし者は、黥のうへ重 笞となし、又、脚夫にして、其の寄託を受くる処の金子入文書等を破解し て、其の金を盗むものは、贓の多少を論ぜず、引廻のうへ、獄門となしゝ が、新律綱領には、三百両以上は死罪に行はれ、改定律令には、終身懲役 となし、現今は、更に兇器を所持せすは、二箇月以上、四箇年以下の重禁 錮にして、所持する者と雖、軽懲役となれり、 又、強盗は、大宝令には、布一匹に徒三年、二端に一等を加ふ。人を傷く るものは、絞す。殺すものは、斬とあり。 徳川の世に至りて、兇器を持たずとも、門戸を開き、人を縛して、強盗す るもの、首は獄門、従は死罪、人を殺す者は、引廻のうへ、獄門となれる は、武威を示しゝ戦国の酷刑の遺れるものにて、新律鋼領には、兇器を所 持せず、唯人を脅しゝ者は、二年の懲役.兇器を所持する者は流罪、人を 殺しゝものは、斬罪なりしが、現今は、大いに軽く、兇器を所持せぎる者 は軽懲役、之れを所持する者は重懲役、二人以上共同のものは重懲役、二 人以上兇器を所持する者は、有期徒刑、人に死に致しゝものは死刑とせり。 又、貨幣贋造は、徳川時代に於いては、引廻のうへ、磔に処せられ、現今 は、無期徒刑に処廃せらる。  斯の如く、刑の執行は、漸次軽くなりしが、只、其の反比例を来たせる ものは、自首にして、大宝令、及び、新律綱領にては、共に之れを免した れども、現今に至りては、本刑に、一等、又は二等を減じ、之れを自首減 軽と云ふ。 又、棄児罪も、徳川時代には、或ひは所払ひ、或ひは極貧窮にして、妻も なく、乳もなき者は、叱り置く等の如き事に止まりしが、今は一箇月以上、 一箇年以下、若、無人の山奥等に棄てし者は、四箇月以上、四箇年以下の 重禁錮に行はる。尚、老人を棄てし者は、古は無罪なりしが、今は棄児と 同様なり。  又、古に無くして、今に有るものあり。即、時として、公権の投票に依 りて、罪を得、自殺をなす者も、或ひは罪せられ、又、堕胎罪、船舶衝突 して覆没する罪、健康を害する罪、飲水に関する罪、伝染病に関する罪、 私に医業をなす罪、及び期満免除の制等にして、其の期満免除とは、死罪 は三十箇年、無期徒刑は二十五箇年間、巧に遁れて、若干年、之れを経過 せば、其の罪を問はず、然れども、其の満期前に令状、即召取状を発せば、 之れと同時に、更に其の期を延ばす。


『大阪府誌 警察史』目次/その77/その79

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