Я[大塩の乱 資料館]Я
2011.6.2

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大塩の乱関係論文集目次


『大阪府誌 警察史』

その79

大阪府 1903 より


◇禁転載◇

       ちょくだん  古は、法律に敕断と称することありき。即、敕令を以つて、罪の軽重を 変じ、重罪をして軽からしめ、若くは軽罪をして重からしむることなり。 又、古は、祖父母、父母を殺す者は勿論、殺さんと諜りし者にても斬罪に 行ひしが、現今は、謀殺、故殺は死罪に処すれども、殺さんと謀りしもの には、刑罰なし。又、夫婦間に於いて夫、死し、毫も哀む所なく、或ひは 喪中に他に嫁する者は、二年の徒罪に処する等、専、道義の上より制裁を                           きしょう 下しゝが、故に夫より妻を見ること甚軽く、罪なき妻妾を傷して、死に 至らしめし者の外、罪ある妻妾を罵し、妻妾をして自死せしむと雖、其 の罪を諭ぜずとありしが、現今は人を以つて之れを論ぜり。 又、主従の間は、古は、殊に忠孝の督励を専としたりしが、故に奴婢にし て、其の主人を殺すものは、斬罪、徳川氏に至りては、引廻のうへ、磔と なし、新律綱領には、奴婢は梟、雇人は斬と差別し、現今は、只、人を以 つて論ずるに過ぎず。 又、新律綱領に徒刑流刑の者にして、祖父母、父母の七十歳以上、また、 廃疾、篤疾にして、他に侍養の者なきときは、其の刑に代ふるに、杖一百 と決し、余は罰金を収めしむることあり。之れを存留養親と云ひしが、現 今の法には、斯ることなし。  古法律中、殊に道義に依れるものは、容隠なり、即、親族中は、罪ある 者を隠すことを許され、兄弟外、祖父母、子孫、女婿等の同居する者は、 其の罪を訴へずとも、罪なく、或ひは、其の罪人を遁れしむる者も、亦罪 なく、之れを容隠の親と称せり。故に其の子孫の祖父母、父母を告訴する ときは、却りて絞罪、妻妾の夫、及び夫の祖父母、若くは父母を告訴する          ぶこく 者は、徒二年間、誣告する者は、絞罪に処せられしが、是れ全く「父為子       *1 隠 子為父隠」てふ経書の意を敷衍せしものならん。 然るに、現今の刑法には、之れなきにあらざれども、其の範囲、狭少にし て、罪人を蔵匿、若くは隠避せしめたる時、及び偽証に関する場合のみに 限れり。                   いとま  以上古今の刑を比較すれば、数ふるに遑あらずと雖、其の最なるものは、 以上説けるが如し。  此の如く、古の法律は、主として、道義を以つて基となし、武家に至り      れんち ては、殊に廉耻を重んずること甚しかりしを以つて、おのづから酷刑を行 ひき。然るに明治の聖代となり、殊に万国と対峙の世となりては、悉、古 の酷刑を撤去し、其の最重刑なるものにして、尚死罪に過ぎず、亦、此の 大御代に生れたる人民の一大幸福と云ふべし。


*1 『論語 子路篇』所載。


『大阪府誌 警察史』目次/その78/その80

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