大阪府 1903 より
ちょくだん 古は、法律に敕断と称することありき。即、敕令を以つて、罪の軽重を 変じ、重罪をして軽からしめ、若くは軽罪をして重からしむることなり。 又、古は、祖父母、父母を殺す者は勿論、殺さんと諜りし者にても斬罪に 行ひしが、現今は、謀殺、故殺は死罪に処すれども、殺さんと謀りしもの には、刑罰なし。又、夫婦間に於いて夫、死し、毫も哀む所なく、或ひは 喪中に他に嫁する者は、二年の徒罪に処する等、専、道義の上より制裁を きしょう 下しゝが、故に夫より妻を見ること甚軽く、罪なき妻妾を
傷して、死に 至らしめし者の外、罪ある妻妾を
罵し、妻妾をして自死せしむと雖、其 の罪を諭ぜずとありしが、現今は人を以つて之れを論ぜり。 又、主従の間は、古は、殊に忠孝の督励を専としたりしが、故に奴婢にし て、其の主人を殺すものは、斬罪、徳川氏に至りては、引廻のうへ、磔と なし、新律綱領には、奴婢は梟、雇人は斬と差別し、現今は、只、人を以 つて論ずるに過ぎず。 又、新律綱領に徒刑流刑の者にして、祖父母、父母の七十歳以上、また、 廃疾、篤疾にして、他に侍養の者なきときは、其の刑に代ふるに、杖一百 と決し、余は罰金を収めしむることあり。之れを存留養親と云ひしが、現 今の法には、斯ることなし。 古法律中、殊に道義に依れるものは、容隠なり、即、親族中は、罪ある 者を隠すことを許され、兄弟外、祖父母、子孫、女婿等の同居する者は、 其の罪を訴へずとも、罪なく、或ひは、其の罪人を遁れしむる者も、亦罪 なく、之れを容隠の親と称せり。故に其の子孫の祖父母、父母を告訴する ときは、却りて絞罪、妻妾の夫、及び夫の祖父母、若くは父母を告訴する ぶこく 者は、徒二年間、誣告する者は、絞罪に処せられしが、是れ全く「父為子 *1 隠 子為父隠」てふ経書の意を敷衍せしものならん。 然るに、現今の刑法には、之れなきにあらざれども、其の範囲、狭少にし て、罪人を蔵匿、若くは隠避せしめたる時、及び偽証に関する場合のみに 限れり。 いとま 以上古今の刑を比較すれば、数ふるに遑あらずと雖、其の最なるものは、 以上説けるが如し。 此の如く、古の法律は、主として、道義を以つて基となし、武家に至り れんち ては、殊に廉耻を重んずること甚しかりしを以つて、おのづから酷刑を行 ひき。然るに明治の聖代となり、殊に万国と対峙の世となりては、悉、古 の酷刑を撤去し、其の最重刑なるものにして、尚死罪に過ぎず、亦、此の 大御代に生れたる人民の一大幸福と云ふべし。