大阪府 1903 より
古今を問はず、東西を論ぜず、苟、国あれば、爰に警察制度なかるべか らず。警察とは国家、及び一私人の安寧幸福を保たんが為に、其の危害を 除却するを目的とし、直接に一私人の自由を制限する国家命令権の作用な り。而して警察制度は時勢の変遷、若くは、其の国の風俗人情等に仍りて、 稍その趣を異にするものあり。 即、我が国に於ける、太古人民の質朴なりし時代に於いては、一の法文な かりしが、其の制裁防禦よく行はれて、又、敢て不備を感ずる事あらざら き。後世に赴くに随ひ、人民の気風もまた次第に変遷し、上古の制裁法を 以つて、之れを拘束すること能はざるに至りしより、孝徳天皇の大化年中、 初めて法文を設けられ、尋いで、文武天皇の御宇、発布せられし大宝律令 の如き、当時に於ける、其の最完備なるものなりき。 然るに、此の大宝律令は、総べて漢文を以つて作られ、到底、無学者の解 し得ざる所にして、かつ当時学問をなす者は、相応の身分ある者に限られ、 中等以下に及ばざりしを以つて、概して一般の人民は、律令の何物たるを 知らず、降りて王政の衰頽廃して、武家執政の世となりては、一定の法式 あるにあらす、只当路者の参考書の如きものありしのみ。 たちまち 殊に徳川の代となり、制度は、忽、大いに整頓に向かひたりと雖、しかも 寛保年中、集録せられし科條類典の如き、是れ亦一般ほ告示せらるゝ高札 の文、時々下附せらるゝ触書の外、重き吏員を除きては、都べて之れを窺 ふことを得ず、況、一般の人民に於いてをや。しかのみならず、同科條類 典の奥書に「右之趣、達上聞集之候、奉行中之外、不可有他見、尤雖一條 *1 抜書等、永禁之者也 松平左近将監武允」とありて、吏員と雖、己の勤務 せる役庁の規則は、古参の口伝に仍りて知り、他庁の規則は、之れを窺ふ こと能はず。蓋、人民をして之れに由らしむべく、之れを知らしむべから ざるの主義に出でたるものなれども、かくては、犯罪者の年々増加するの 傾向あるを以つて、後、徳川の中葉に至り、終に之れを世に公にするに至 れり。然りと雖、その制度の大体に至りては、徳川の終始一貫、毫も之れ を革むることなく、其の刑律は、主として支那風の徳義、又、廉耻を本と なし、其の執務規程の如き、当路者は、自己の意思を以つて、便宜事に従 ひ、苛、不審なる者と思惟する時は、其の機能によりて、直ちに之れを捕 縛し、之れを糺問して、毫も仮仮する所なかりき。 当時の裁判法は、証拠の有無に拘はらず、只、罪人の自白に基づきて、之 れを処断するに在りしかば、捕縛せられし者にして、有罪者といへども、 身体強壮、心気兇悪の者は、往々にして其の罪を免れ、又、不犯の者とい かしゃく へども、身体軟弱、心気穏順の者は、往々その糺問呵責等に堪へずして、 無辜に陥ることあり、為に意想外の結果を生ぜしもの一、二にして止まら ず。 然るに、明治維新後に至りては、一千二百有余年の間襲用し来たれる、最 初よりの旧刑律を打破し、忽然一転して、西洋式に則とり、大いに其の主 義を異にし、当路者の、縦令犯罪者と認定すとも、現行、準現行犯の外は、 判
事の令状なくして、之れを捕縛することを得ず、且、その糺問に際し、 理不尽に之れを苛責すること能はず、又その裁判法に至りても、証拠の正 確なるものを以つて、有罪とし、然らざるものは、証拠不十分として之れ を免じ、決して其の証拠の薄弱なるものを、罪に問はず、殊に罪の審判に 際し、身元ある者は、法律家、即、弁護士をして、巧に之れを疏弁するこ とを得、身元なき者といへども、重罪犯に向かひては、法によりて弁護士 を官撰し、以つて之れを弁疏せしむ。 又、維新前の制度は、各藩その治法を多少異にしたるを以つて、警察制 度も、稍、その趣を異にせり。故に甲地に犯罪して、乙他に遁れ、其の罪 の軽きことあり。 又、入墨の如き、初犯限のものあり、再犯を印するものあり、手腕に印す るあり、額面に印するあり、其の他、其の方法手段の異なりたるもの、亦 尠なからず、我が府下に於ける諸藩、また此の如くなりしが、維新後に至 りては、全国、其の制度を一にし、地方違警罪を除くの外は、各府県、そ の方法手段の異なりたるものなし。 然りといへども、当所の如きは、三都の一に居り、且、全国中、商業の中 心にして、四方人民の居住するもの、年を追ひて、益々盛なるのみならず、 海陸貨物の出入、また頻繁にして、衛生にまれ、勧業にまれ、商業にまれ、 工業にまれ、其の他の行政司法に関する警察事務の煩劇なる。亦、全国中、 其の一、二に居れり。而して裁判所の如きもまた、控訴院あり、地方裁判 所あり、又、各管内にも区裁判所ありて、共に相俟ちて、事務の進捗を図 り、之が発達を画せり。蓋、全国商業の中心、将た三都の一たる本府の警 察として、また遺憾なきが如し。