Я[大塩の乱 資料館]Я
2011.6.3

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大塩の乱関係論文集目次


『大阪府誌 警察史』

その80

大阪府 1903 より


◇禁転載◇

 古今を問はず、東西を論ぜず、苟、国あれば、爰に警察制度なかるべか らず。警察とは国家、及び一私人の安寧幸福を保たんが為に、其の危害を 除却するを目的とし、直接に一私人の自由を制限する国家命令権の作用な り。而して警察制度は時勢の変遷、若くは、其の国の風俗人情等に仍りて、 稍その趣を異にするものあり。 即、我が国に於ける、太古人民の質朴なりし時代に於いては、一の法文な かりしが、其の制裁防禦よく行はれて、又、敢て不備を感ずる事あらざら き。後世に赴くに随ひ、人民の気風もまた次第に変遷し、上古の制裁法を 以つて、之れを拘束すること能はざるに至りしより、孝徳天皇の大化年中、 初めて法文を設けられ、尋いで、文武天皇の御宇、発布せられし大宝律令 の如き、当時に於ける、其の最完備なるものなりき。 然るに、此の大宝律令は、総べて漢文を以つて作られ、到底、無学者の解 し得ざる所にして、かつ当時学問をなす者は、相応の身分ある者に限られ、 中等以下に及ばざりしを以つて、概して一般の人民は、律令の何物たるを 知らず、降りて王政の衰頽廃して、武家執政の世となりては、一定の法式 あるにあらす、只当路者の参考書の如きものありしのみ。               たちまち 殊に徳川の代となり、制度は、忽、大いに整頓に向かひたりと雖、しかも 寛保年中、集録せられし科條類典の如き、是れ亦一般ほ告示せらるゝ高札 の文、時々下附せらるゝ触書の外、重き吏員を除きては、都べて之れを窺 ふことを得ず、況、一般の人民に於いてをや。しかのみならず、同科條類 典の奥書に「右之趣、達上聞集之候、奉行中之外、不可有他見、尤雖一條                   *1 抜書等、永禁之者也 松平左近将監武允」とありて、吏員と雖、己の勤務 せる役庁の規則は、古参の口伝に仍りて知り、他庁の規則は、之れを窺ふ こと能はず。蓋、人民をして之れに由らしむべく、之れを知らしむべから ざるの主義に出でたるものなれども、かくては、犯罪者の年々増加するの 傾向あるを以つて、後、徳川の中葉に至り、終に之れを世に公にするに至 れり。然りと雖、その制度の大体に至りては、徳川の終始一貫、毫も之れ を革むることなく、其の刑律は、主として支那風の徳義、又、廉耻を本と なし、其の執務規程の如き、当路者は、自己の意思を以つて、便宜事に従 ひ、苛、不審なる者と思惟する時は、其の機能によりて、直ちに之れを捕 縛し、之れを糺問して、毫も仮仮する所なかりき。 当時の裁判法は、証拠の有無に拘はらず、只、罪人の自白に基づきて、之 れを処断するに在りしかば、捕縛せられし者にして、有罪者といへども、 身体強壮、心気兇悪の者は、往々にして其の罪を免れ、又、不犯の者とい                        かしゃく へども、身体軟弱、心気穏順の者は、往々その糺問呵責等に堪へずして、 無辜に陥ることあり、為に意想外の結果を生ぜしもの一、二にして止まら ず。 然るに、明治維新後に至りては、一千二百有余年の間襲用し来たれる、最 初よりの旧刑律を打破し、忽然一転して、西洋式に則とり、大いに其の主 義を異にし、当路者の、縦令犯罪者と認定すとも、現行、準現行犯の外は、 判事の令状なくして、之れを捕縛することを得ず、且、その糺問に際し、 理不尽に之れを苛責すること能はず、又その裁判法に至りても、証拠の正 確なるものを以つて、有罪とし、然らざるものは、証拠不十分として之れ を免じ、決して其の証拠の薄弱なるものを、罪に問はず、殊に罪の審判に 際し、身元ある者は、法律家、即、弁護士をして、巧に之れを疏弁するこ とを得、身元なき者といへども、重罪犯に向かひては、法によりて弁護士 を官撰し、以つて之れを弁疏せしむ。  又、維新前の制度は、各藩その治法を多少異にしたるを以つて、警察制 度も、稍、その趣を異にせり。故に甲地に犯罪して、乙他に遁れ、其の罪 の軽きことあり。 又、入墨の如き、初犯限のものあり、再犯を印するものあり、手腕に印す るあり、額面に印するあり、其の他、其の方法手段の異なりたるもの、亦 尠なからず、我が府下に於ける諸藩、また此の如くなりしが、維新後に至 りては、全国、其の制度を一にし、地方違警罪を除くの外は、各府県、そ の方法手段の異なりたるものなし。 然りといへども、当所の如きは、三都の一に居り、且、全国中、商業の中 心にして、四方人民の居住するもの、年を追ひて、益々盛なるのみならず、 海陸貨物の出入、また頻繁にして、衛生にまれ、勧業にまれ、商業にまれ、 工業にまれ、其の他の行政司法に関する警察事務の煩劇なる。亦、全国中、 其の一、二に居れり。而して裁判所の如きもまた、控訴院あり、地方裁判 所あり、又、各管内にも区裁判所ありて、共に相俟ちて、事務の進捗を図 り、之が発達を画せり。蓋、全国商業の中心、将た三都の一たる本府の警 察として、また遺憾なきが如し。


*1 小山松吉「徳川幕府の法制と裁判所の構成」その6


『大阪府誌 警察史』目次/その79

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