Я[大塩の乱 資料館]Я
1999.11.11
2000.1.1訂正

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大塩の乱関係論文集目次


「大 塩 平 八 郎」 その4

森 鴎外 (1862−1922)

『大塩平八郎・堺事件』
1940 岩波文庫 所収



    

四、宇津木と岡田と

 新塾にゐる学生のうちに、三年前に来て寄宿し、翌年一旦立ち去つて、去年再び来た宇津木矩之允(のりのすけ)と云ふものがある。平八郎の著した大学刮目の訓点を施した一人で、大塩の門人中学力の優れた方である。此宇津木が一昨年九州に遊歴して、連れて来た孫弟子がある。これは長崎西築町の医師岡田道玄の子で、名を良之進と云ふ。宇津木に連れられて親元を離れた時が十四歳だから、今年十六歳になつてゐる。

 この岡田と云ふ少年が、けさ六つ半に目を醒ました。職人が多く入り込むやうになつてから、随分騒がしい家ではあるが、けさは又格別である。がたがた、めりめり、みしみしと、物を打ち毀す音がする。しかし聴き定めようとして、床の上にすわつてゐるうちに、今毀してゐる物が障子襖だと云ふことが分かつた。それに雑つて人声がする。「役に立たぬものは討ち棄てい」と云ふ詞がはつきり聞えた。岡田は怜悧な、思慮のある少年であつたが、余り思ひ掛けぬ事なので、一旦夢ではないかと思つた。それから宇津木先生はどうしてゐるかと思つて、頸を延ばして見ると、先生はいつもの通に着布団の襟を顎の下に挿むやうにして寝てゐる。物音は次第に劇しくなる。岡田は心のはつきりすると共に、尋常でない此屋敷の現状が意識に上つて来た。

 岡田は跳ね起きた。宇津木の枕もとにゐざり寄つて、「先生」と声を掛けた。

 宇津木は黙つて目を大きく開いた。眠つてはゐなかつたのである。

 「先生。えらい騒ぎでございますが。」

 「うん知つてをる。己(おれ)は余り人を信じ過ぎて、君をまで危地に置いた。こらへてくれ給へ。去年の秋からの丁打(ちやううち)の支度が、仰山だとは己も思つた。それに門人中の老輩数人と、塾生の一半とが、次第に我々と疎遠になつて、何か我々の知らぬ事を知つてをるらしい素振をする。それを怪しいとは己も思つた。併し己はゆうべまで事の真相を看破することが出来なかつた。所が君、ゆうべ塾生一同に申し渡すことがあると云つて呼んだ、あの時の事だね。己は代りに聞いて来て遣ると云つて、君を残して置いて出席した。それから帰つて、格別な事でもないから、あした話すと云つて寝たのだがね、実はあの時例の老輩共と酒宴をしてゐた先生が、独り席を起つて我々の集まつてゐる所へ出て来て、かう云つたのだ。一大事であるが、お前方はどう身を処置するか承知したいと云つたのだ。己は一大事とは何事か問うて見た。先生はざつとこんな事を説かれた。我々は平生良知の学を攻めてゐる。あれは根本の教だ。然るに今の天下の形勢は枝葉を病んでゐる。民の疲弊は窮まつてゐる。草妨礙(ほうがい)あらば理亦宜しく去るべしである。天下のために残賊を除かんではならぬと云ふのだ。そこでその残賊だがな。」

 「はあ」と云つて、岡田は目を【目争】つた。

【目争】の字

 「先ず町奉行衆位の所らしい。それがなんになる。我々は実に先生を見損つてをつたのだ。先生の眼中には将軍家もなければ、朝廷もない。先生はそこまでは考へてをられぬらしい。」

 「そんなら今事を挙げるのですね。」

 「さうだ。家には火を掛け、与せぬものは切り棄てゝ起つと云ふのだろう。併しあの物音のするのは奥から書斎の辺だ。まだ旧塾もある。講堂もある。こゝまで来るには少し暇がある。まあ、聞き給へ。例の先生の流義だから、ゆうべも誰一人抗争するものはなかつた。己は明朝御返事をすると云つて一時を糊塗した。若し諌める機会があつたら、諌めて陰謀を思ひ止まらせよう。それが出来なかつたら、師となり弟子となつたのが命(めい)だ、甘んじて死なうと決心した。そこで君だがね。」

 岡田はまた「はあ」と云つて耳を欹てた。

 「君は中斎先生の弟子ではない。己は君に此場を立ち退いて貰ひたい。挙兵の時期が最も好い。若しどうすると問ふものがあつたら、お供をすると云ひ給へ。さう云つて置いて逃げるのだ。己はゆうべ寝られぬから墓誌銘を自撰した。それを今書いて君に遣る。それから京都東本願寺家の粟津陸奥之助と云ふものに、己の心血を灑いだ詩文稿が借してある。君は京都へ往つてそれを受け取つて、彦根にゐる兄下総の邸へ往つて大林権之進と云うものに逢つて、詩文稿に墓詩銘を添へてわたしてくれ給え。」かう云ひながら宇津木はゆつくり起きて、机に【告/非】れたが、宿墨に筆を浸して、有り合せた美濃紙二枚に、一字の書損もなく腹稾(ふくかう)の文章を書いた。書き畢つて一読して、「さあ、これだ」と云つて岡田にわたした。

【告/非】の字

 岡田は草稿を受け取りながら、「併し先生」と何やら言ひ出しさうにした。

 宇津木は「ちよいと」と云ひ掛けて、便所へ立つた。

 手に草稿を持つた儘、ぢつとして考へてゐる岡田の耳に、廊下一つを隔てた講堂の口あたりから人声が聞えた。

 「先生の指図通、宇津木を遣つてしまふのだ。君は出口で見張つてゐてくれ給え。」聞き馴れた門人大井の声である。玉造組与力の伜で、名は正一郎と云ふ。三十五歳になる。

 「宜しい。しつかり遣り給へ。」これは安田図書(づしよ)の声である。外宮(げぐう)の御師(おし)で、三十三歳になる。

 岡田はそつと立つて便所の戸口へ往つた。「殺しに来ます。」

 「好い。君早く逃げてくれ給へ。」

 「併し。」

 「早くせんと駄目だ。」

 廊下を忍び寄る大井の足音がする。岡田は草稿を懐に捩ぢ込んで、机の所へ小鼠のやうに走り戻つて、鉄の文鎮を手に持つた。そして跣足(はだし)で庭に飛び下りて、植込の中を潜つて、塀にぴつたり身を寄せた。

 大井は抜刀を手にして新塾に這入つて来た。先づ寝所の温みを探つてあたりを見廻して、便所の口に来て、立ち留まつた。暫くして便所の戸に手を掛けて開けた。

 中から無腰の宇津木が、恬然たる態度で出て来た。

 大井は戸から手を放して一歩下がつた。そして刀を構へながら言分らしく「先生のお指図だ」と云つた。

 宇津木は「うん」と云つた切、棒立ちに立つてゐる。

 大井は酔人を虎が食ひ兼ねるやうに、良(やゝ)久しく立ち竦んでゐたが、やうやう思い切つて、「やつ」と声を掛けて真甲を目掛けて切り下した。宇津木が刀を受け取るやうに、俯向加減になつたので、百会(ひやくゑ)の背後(うしろ)が縦に六寸程骨まで切れた。宇津木は其儘立つてゐる。大井は少し慌てながら、二の太刀で宇津木の腹を刺した。刀は臍(ほぞ)の上から背へ抜けた。宇津木は縁側にぺたりとすわつた。大井は背後(うしろ)へ押し倒して喉を刺した。

 塀際にゐた岡田は、宇津木の最期を見届けるや否や、塀に沿うて東照宮の境内へ抜ける非常口に駆け附けた。そして錠前を文鎮で開けて、こつそり大塩の屋敷を出た。岡田は二十日に京都に立ち寄つて二十一日には彦根へ着いた。


参考
井上哲次郎「宇津木静区」   
森鴎外「大塩平八郎」その3/ その5

大塩の乱関係論文集目次

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