Я[大塩の乱 資料館]Я
2000.3.8

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「咬 菜 秘 記」その10

坂本鉉之助

『旧幕府 2巻12号 』(冨山房雑誌部) 1898.12 より


◇禁転載◇

適宜、句読点・改行をいれています。


〔天神橋の切落しの戦略的失敗〕

此時若々 其所に智慮の届たらは、天神橋を切落しに杣を遣ひたりとある時、貞か返答の仕方にて、天神橋を其儘置て 跡部に出馬を勧め、賊徒に天神橋を渡らせす。

跡にて聞けは、賊徒天神橋を渡りて切落しある所迄来て、夫より引返して難波橋の方へ廻りてわたりしとなり

此方は、橋の南の町家蔭に潜み伏して待請、橋を八九歩渡りたる所を 俄に出て打捕なは、橋は長し 見通しはよし、橋の上故 左右へ迯散ることは出来す。多分 此所にて被捕、平八郎も打得へきものを。左すれは仙波(船場) 上町は一軒も焼かすと済むことにて、市民の難義を救ふことも多分也し、大事の功を仕損したりと、此事を思ひ出す度毎に残念いふへくもなし。

是は貞の智慮の足らぬことにて、自ら我身を恨むより外なし。

市中の小路軍程仕難きことはなしと、古人の云しこともあり。如何にも尤なる事にて、昔の鎗長刀の戦にさへ、敵軍の形勢が知れぬ故、唯何方にても出会た所が勝負と云ものにて仕難也。

況や此度は鉄砲の飛び道具を持ながら、とこにても出会がしらが勝負にて、其上唯一 筋を見通す斗、横町にては如何なる人数がありて、如何様の事を為し居るやら、更に見透すこともならず。

纔に町幅二間に不足ぬ一筋にて、鉄砲を打合て、四辻の人か纔に一間左右へ片寄れは、此方より見へぬ様になりて、更に敵の形勢を見ること出来す。

さるゆへに、一町目にて出会て一放打て玉込せし間に、辻の賊は一人も見へすなりて、現在其所に一人打倒したるものありて、其近所迄は進み近寄たれ共、辻まて出来ぬは、四辻の左右に如何なる敵の伏してあるへきも知れねは、無拠引返して元の瓦町へ出て 西へ行き、其次の八百屋町筋に 賊徒居るなるへしと思ひしに、一人も見へす。

其次の堺筋に出逢し時は、前の一丁目にこりたる故、一放打と駈進みて、紙屋の戸口にありし紙荷を小楯にとりて 此紙屋を跡にて尋ねて改め見しに、丁度町の中半にて辻より二十間あり 玉込せしか、大筒を梅田か曳て西の筋へ這入らんとせしを見、又辻より西へ大筒を曳入させては、四辻へ駈出ることの無束敷と思ひし故、駈進みて梅田を討取しは、又た八九間出て、四辻迄十間斗の所にありし、音と一所に倒れたれとも、四辻へ駈出る時は、左右の方に如何なる敵の伏し居て、鎗か太刀にて刺撃せんも斗られすと思ひ、其時は鎗にもせよ、太刀にもせよ、此方は鉄砲を以 指火にて打取べしと、先人の教へ通りを守りて、玉込して口薬を込、火縄も指に持て指火の技の支度を整へ、夫から掛声して四辻へ駈出たれは、梅田打倒してから、纔に玉込せし隙に、最早賊徒は近辺に見へす。


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