『旧幕府 2巻12号〜3巻1号 』(冨山房雑誌部、裳華房) 1898.12〜99.1 より
其節、梅田と顔を見合せたるか、源右衛門は、夫迄 貞か覘ひ寄る事は 更に存せす。
始て顔を見合て 実に驚き入たる顔色にて、俄に致方もなかりし哉、何の所作も出ぬ内に即時に打倒したり。
夫故 横身の所を打て、右腰より左腰へ打貫、音と一所に心地よく仰向に倒れ、其死骸は 全く西筋へ倒込て、堺筋よりは見へぬ位なり。
其場所は 拾間斗と存じ、辻へ駈出てから、改見れば 黒羽二重の紋付に八丈島の下着を着し、皆紅裏の小袖にて おちよぼから音をして、黒羅紗の羽織を着し股引もせず、 萌黄真田のたすきを掛て 是ハ 跡て聞候に、徒党のものゝ相印とて幅広き萌黄真田のたすき悉掛たりとそ 素足に草鞋をして、大小も相応の拵の様にありたり。
矢張 息はありて、眼を開く事もならさりしか、喉の中にて少々つゝうめき居たり。
跡部の纏持か 四辻へ跡より来たる時は、うれし気なる顔をして、貞に向て云には、
扨、次片時も荒形済て、是から西手を廻ると、ある時、貞は又最先へ立て西手へ行 く、跡にて古市丈五郎にや跡部か申付て、右源右衛門首を切らせたる時、同心中 側にありて見たるものゝ足先へ血か飛たりしか、其時は あつき湯のかゝりたる様に覚たりと申せは、始終息はあつたかと覚ゆ。
跡にて聞けは、彦根の藩より出たるものヽよし、歳は廿三、五才位にて余程丈夫なる大兵也、其死骸其儘ありて、其辺も焼て一両日過てから、其辺の町人とも打寄りて、余り大兵とて、尺をとりて見たれは、焼燗たる死骸の首の切口迄 丁度五尺ありしと跡に聞し。
又今一人、北側に倒れたる賊卒の死骸も、其儘にて焼たりしか、跡にて乞食とも寄りて 死骸をさかせし時、腹の下に白銀十五枚持て居し由、是は途中にて乱妨せし者なる べし。