Я[大塩の乱 資料館]Я
2000.5.22訂正
2000.3.12

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「咬 菜 秘 記」その12

坂本鉉之助

『旧幕府 2巻12号〜3巻1号 』(冨山房雑誌部、裳華房) 1898.12〜99.1 より


◇禁転載◇

適宜、句読点・改行をいれています。


〔梅田源右衛門の最期〕

貞か打留たる梅田源右衛門は、西の端にある百目玉筒等の車台に取付、少づゝ西筋の方へ引かけ居るを、貞は 西側紙屋の戸口より初はよく見へてありしか、玉込する隙に、はや 町家が邪魔になつて 覘ひか出来ぬ故、西側を駈進みて、梅田か体のよく見える所迄駈出し、直に居敷て打取たり。

其節、梅田と顔を見合せたるか、源右衛門は、夫迄 貞か覘ひ寄る事は 更に存せす。

始て顔を見合て 実に驚き入たる顔色にて、俄に致方もなかりし哉、何の所作も出ぬ内に即時に打倒したり。

夫故 横身の所を打て、右腰より左腰へ打貫、音と一所に心地よく仰向に倒れ、其死骸は 全く西筋へ倒込て、堺筋よりは見へぬ位なり。

其場所は 拾間斗と存じ、辻へ駈出てから、改見れば 黒羽二重の紋付に八丈島の下着を着し、皆紅裏の小袖にて おちよぼから音をして、黒羅紗の羽織を着し股引もせず、 萌黄真田のたすきを掛て 是ハ 跡て聞候に、徒党のものゝ相印とて幅広き萌黄真田のたすき悉掛たりとそ 素足に草鞋をして、大小も相応の拵の様にありたり。

矢張 息はありて、眼を開く事もならさりしか、喉の中にて少々つゝうめき居たり。

跡部の纏持か 四辻へ跡より来たる時は、うれし気なる顔をして、貞に向て云には、

と云て、右の梅田を見て、 とて、纏の石突にて 喉を二ツ三ツつきたる時は、源右衛門、顔を志かめる位に 息もあつたり。

扨、次片時も荒形済て、是から西手を廻ると、ある時、貞は又最先へ立て西手へ行 く、跡にて古市丈五郎にや跡部か申付て、右源右衛門首を切らせたる時、同心中 側にありて見たるものゝ足先へ血か飛たりしか、其時は あつき湯のかゝりたる様に覚たりと申せは、始終息はあつたかと覚ゆ。

跡にて聞けは、彦根の藩より出たるものヽよし、歳は廿三、五才位にて余程丈夫なる大兵也、其死骸其儘ありて、其辺も焼て一両日過てから、其辺の町人とも打寄りて、余り大兵とて、尺をとりて見たれは、焼燗たる死骸の首の切口迄 丁度五尺ありしと跡に聞し。

又今一人、北側に倒れたる賊卒の死骸も、其儘にて焼たりしか、跡にて乞食とも寄りて 死骸をさかせし時、腹の下に白銀十五枚持て居し由、是は途中にて乱妨せし者なる べし。


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