Я[大塩の乱 資料館]Я
2000.5.22訂正
2000.3.24

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「咬 菜 秘 記」その14

坂本鉉之助

『旧幕府 3巻1号 』(裳華房) 1899.1 より


◇禁転載◇

適宜、句読点・改行をいれています。


〔大塩の陰謀とその露見〕

街説に、大塩か隠謀は 二月十九日 両町奉行同道にて組屋敷を巡見あり、其節は 先格にて組与力の調役の者の方へ立寄、蕃(薄)茶一抔を出して 暫く休息ある事にて、此度は 朝岡助之丞宅なれは、大塩か直(真)向屋敷を、夫へ両奉行休息之時、平八郎宅より不意に討出て、先つ両奉行を討取、夫より市中へ放火して 悉く焼払しまへは、六甲山の兜山へ楯籠る と云謀略なるを、徒党の内 跡部組同心平山助二郎と云者、十七日之夜に訴人に出、山城守 即席より助二郎を江戸表へ出立させて、勘定奉行 矢部駿河守へ書状を附、手許より路銀等を遣て、其場は出立させ、扨 翌十八日は 彼是 隠密にて 取鎮の勘弁も種々手後(段)もありたる由。

其中に 十八日の夜、組与力大西与五郎 是ハ平八郎が叔父なり へ申達て、叔父甥の好を以、与五郎に平八郎方へ参り 利害を申聞せ、内斎穏便の取鎮可致、若 平八郎承引無之躰ならは、平八郎と刺違て死すへしと有之を、与五郎 如何思たるや、平八郎方へは行すして、父子共直に出奔したり。

又 暁八ツ時に西奉行堀伊賀守方へも、組同心の悴両人*1訴人に出たる由にて、用人を使として 跡部へ隠密申来。

右の用人帰り候と、無極(程) 当番の瀬田済之助 小泉淵次郎を御用談ありとて山城守側へ呼出し、其節は 必 次之間に脇差を脱して其間に這入故、近習三四人に申含、其所にて取押へき手筈之所、一人少々早まりて淵次郎か脇差を抜て下に置と、直に 其脇差へ手を掛たる故、かれ 忽 心付て、

云、立んとせし処を、近習両人 淵次郎へ組付たるを、又一人狼狽して脇差を抜て 振揚てかゝりたる故、粗(組)付たる両人も淵次郎を放ら(ち)淵次郎は、表の方へ駈出す所を 後より二太刀 三太刀撃つて漸く切倒したる。

其隙に 済之助は勝手の方へ迯て、庭へ走り出、稲荷の脇の塀を飛越して平八郎方へ迯げたる由。此時は 十九日の六ツ時前にて、天満橋辺の町家にて 見掛たる者も有、乱髪無刀にて駈帰りたるよし。


*1吉見英太郎 河合八十次郎 の両人


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