『旧幕府 3巻1号 』(裳華房) 1899.1 より
扨 平八郎方には、前夜より余程人数を呼集置、早天より屋敷内にて度々鉄砲を打、其度々鬨声を上る故、合壁の忍の屋敷にては、是は鉄砲の稽古を初たることゝ思ひたる由。
貞か娘一人、忍の藩 和田孫兵衛へ嫁して かの屋敷にありしか、孫兵衛は主用にて出府するとて、去る十三日に発足せし留守にて、同藩の下役抔来りて、
其面躰 何か塩硝にても付たるか 真黒にて、異体なれは、宗三郎大に驚、其儘無言にて馳帰りて、夫より忍の屋敷にても驚出したるよし。
間もなく大塩自分の居宅へ火をかけ、夫より討出たりと云事なり。
最初に 宅にて無情に鉄砲を放て鬨声を揚たるは、済之助が迯帰て、陰謀露顕の事を語りたるゆへ、然らは 此まゝ居ては 是非討手か参るへしとて、討出る支度の整ふ間、討手除の驚(繋)くに大砲を放せしなるべし。
又、玉造与力の米倉倬次郎も、去年まて大塩塾に居たる門人なれは、天満の火事と聞て、直に大塩へ見舞に駈行たるに、はや 討出たる跡にて本宅 土蔵は焼失して、隣の明屋敷に諸生の塾のありしは未焼失せす、誰も一人も居ぬ故、其諸生塾へ行きみれは、今迄酒飯の呑喰をせし躰にて、盃盤狼籍なる事なれと、是にも一人も居す、庭に 三四貫目玉計の木砲一挺、捻の所打破りて捨てあり。
異なる事と思ひ、近辺にて 頻に大砲の音 聞へけれは、先是 唯事にあらす とて直に駈帰りたり。
又、貞か稽古場へ 柴田勘兵衛も出席にて、天満辺の火事にて 貞か
勘兵衞、直に和田へ行たる時は、大塩の本宅 土蔵も焼て、少し火勢の鎮りたる所にて、建国寺の庭の築山より見れは、塀一重向ふにて、先つ 是ならは忍の屋敷も気遣ひあるまい と皆かいふ位にて、是も一通りの火事斗にてはなく、何か騒動之躰を聞て 驚たる折節、留守宅より 玉造御門に惣出とて、迎の者駈来りて 急て帰りし頃は、天満橋へ はや 御城代之人数は出て 固て居たりと云。
御宮の御炎上なりたるは 此日の夕方にて、仏光寺の焼て棟の落たるあをち(り)にて、西の方より焼来りて、卒に 御宮迄炎上なり。